●お知らせ。明日、26日付け「東京新聞」夕刊に、東京都現代美術館でやっているフランシス・アリスジブラルタル海峡編についてのレビューが掲載される予定です。この展覧会についてはこの日記で既に散々書いているわけですが。
●『群れは意識をもつ』(郡司ペギオ-幸夫)、第二章、メモのつづき。
●自己推進粒子。ボイドには(1)衝突回避 (2) 速度平均化(3)群れ誘引の三つの規則があった(これだけあれば「群れ」が成立した)が、既に「群れ」が成立している状態では「速度平均化」のみが問題となるため、自己推進粒子ではそれのみを問題とする。さらに簡単にするため、速度の長さも単位長で統一され、あるエージェントと別のエージェントとの相互作用は、同調とゆらぎ(逸脱)の二つの値のみで構成される。
群れに属するすべてのエージェントが規則正しく同じ方向を向いている状態を定向性「1」とし、まったくバラバラに動いている状態を定向性「0」とする。この時、完全に同調している定向性1の状態から、徐々にゆらぎの値を大きくしてゆくと、定向性は1から徐々に低下するのではなく、ほぼ1に近い状態をキープしていて、ゆらぎの値がある閾値を越えた瞬間に急激に0に近い状態へ変化する(中間がない)。これは、水がある温度で氷に変化するのと同様の相転移と言える。
●階層ボイドモデル。これは、ボイドの三つの規則、a衝突回避、b速度平均化、c群れ誘引、それぞれが働く「近傍」の距離を階層的に与えるモデル。例えば、半径10センチ以内にある他エージェントに対してはaが働き、10から30センチにある他エージェントに対してはbが働き、30から50センチにある他エージェントにはcが働くというように、a、b、cの順でその「距離(領域)」の階層をつくる。そして、ここでは、aとcの半径を固定したまま、bの範囲を変化させるとどうなるかをみることになる。定向性をみてみる。
ここでも、急激な変化が起こる(しかし相転移よりは緩やかだ)のだが、同時に、変化の歴史(履歴)に影響を受けるヒステリシス(履歴効果)があらわれる。衝突回避(a)と群れ誘引(c)の半径を固定したまま、速度平均化(b)の半径を徐々に広げてゆくと、群れは定向性が0に近い状態から、ある地点で急激に1に近い状態へと近づいてゆく。しかし中間地点がまったくないわけではない。この変化が起こる臨界点で、群れには円を描くような運動が現れる。
次に、定向性が1に近い速度平均化のゾーンの大きな状態から、徐々に半径を狭くしてゆく。ここでは、いったん成立した定向性はずっと維持され、速度平均化がほとんど0になる直前まで高い値で保ちづけ、そして相転移に近い形で急激に崩壊する。臨界点での円運動も現れない。つまり、速度平均化のゾーンが狭い状態から広い状態へと移行する場合と、広い状態から狭い状態へと移行する場合では、「群れ」の変化の仕方が異なる(ヒステリシスがみられる)。
●同様の階層ボイドモデルの群れのなかに、明確な方向性を志向して動く(行き先の情報をもつ)個体が含まれる場合にどうなるのか。ここでは、100の個体の群れのなかに、二つの異なる方向へと向かう5体ずつの個体があったとした場合をみる。
この時に群れの向かう方向は、二つの異なる方向の角度が小さい場合、二つの平均をとる形になり、角度が大きい場合、どちらか一方の方向に一致することになる。ある角度「α」より小さければ平均、大きければどちらか一方という風な臨界点がはっきりと生まれる。
角度の差が大きい場合、二つの集団は各々離れながら成長していくが、《二つの集団は離れると周辺部から近づき、混合された部分はまたいずれかの集団に近づく。その結果、少しでもより大きく成長した小集団は、他方を吸引してしまい》、結果的に群れは一つとなり、方向はどちらかに統一される。サステイナビリティが成立する。
●オリジナルのボイドや自己推進粒子においては、「群れ」はあくまで定向性としてしか捉えられないが、階層ボイドモデルでは、定向性ゼロの状態から完全に定向的な状態までを「連続的」に(相転移的ではなく)考え得るので、まったくランダムな状態までをも「群れ」として考えることができる。
●群れにおいて、「局所的な相互作用による自己組織化」が問題であるというのは、局所的相互作用が、「部分(個-モノ)」と「全体(群れ-コト)」という二項対立(二元論)を媒介する、部分でも全体でもない「小さな部分(個)≒小さな全体(近傍)」として考えられるからだ。それはボイドの三つ規則では、衝突回避(個への指向)と群れ誘引(全体への指向)とを「速度平均化」が媒介するという働きをもつということとパラレルだとも言い得る。階層ボイドモデルにおいて、速度平均化の値の変化が重要であるのも、速度平均化の働きの媒介的性格からくる。
●だがボイドの三つの規則は様々なやり方で実装可能であり、やり方によっては群れが分断されてしまうこともある。例えばセイバーによる群れのネットワークモデルでは、速度平均化を実装するゾーンが極めて狭いため群れが何かしらの障害物によって断片化した時に群れを維持することができなくなる。それを防ぐためには、群れの外に超越的な「仮想的リーダー」となる一点が必要となる。だがそのような解決法では、「個体間の局所的相互作用によって自己組織化が実現する」という群れにおける重要な問題意識が消えてしまう。
とはいえ実際、ボイドや自己推進粒子においては、断片化を防ぐためには速度平均化のゾーンを大きく広げる必要があるが、そうなると「局所的な相互作用による自己組織化としての群れの形成」の「局所(小さな部分≒小さな全体)」が、部分と全体の媒介=局所ではなく、まさに小さな全体=局所となってしまう。
では、階層的ボイドモデルではどうなのか。速度平均化とは、独立した個体(自律-モノ)とその近傍集団(同調-コト)という本来「別の相」にあるもの同士を対応づけるための媒介者であった。それは階層モデルでは、衝突回避(離散-モノ)と群れ誘引(集合-コト)という二つの働きの層の中間に位置しているものだ。オリジナルのボイドでは三つの作用は同時に働く(三つの力が平均化される)のだが、階層型ボイドでは働きに優先順位があり、衝突回避ゾーンに他の個体がある場合はそれが優先される。だから他個体への「反発(個体指向)」と「誘引(全体指向)」とが同時に行われることがない(反発と誘引とは平均化されず時間差をもつ)。階層モデルの速度平均化は自らのゾーンの内側にそれを否定するものを抱えている。つまり、階層モデルでは、速度平均化によって、モノ(個体指向‐反発)とコト(全体指向‐誘引)とが統合されているのではなく、たんに接合されているにすぎない。この時、作用の非同期性(反発と誘引が同時には行われない、双方の力が平均化されないこと)の重要性があらわれる(アリロボットにおいても、運動の非同期化によって「知能」が現れた)。この、非同期性が、局所を全体でも部分でもないものにする。
階層的ボイドモデルにおける速度平均化の重要性は、それが統合するのではなく接合するにすぎないことが露わになる点であり、そのことが非同期性を浮上させるからなのだが、しかしこのモデルも十分とは言えない。
ムクドリの研究から得られるもう一つの「近傍」概念について。今までのモデルによるシミュレーションではなく、実物のムクドリの群れの画像解析による研究によって、群れのなかでのムクドリの個体の運動は、自分から近い順番で七個の個体の動きの影響を受けていると分かった。これまでのシミュレーションでは「近傍(局所)」は距離(半径)によって定義されていたが、この研究では「近傍」は近接順位によって定義されることが分かる(定量距離に対する位相距離)。この場合、たまたま群れに粗な部分が出来てしまって一定半径内に他の個体がいなくなったとしても、個体(モノ)が近傍(コト)との関係性を失うことはない。
また、二つの近傍概念を同時に考えることもできる。あらかじめ決められた一定の領域によって定義される定量距離近傍はコト的近傍であり、個体数という部分の総和によって定義される位相距離近傍はモノ的近傍だ、という風に。
二つの近傍概念が共存すると考えることは、(1)ある個体において、ある時はモノ的近傍概念が使われ、別の時はコト的近傍概念が使われるという意味での非同期性だけでなく、(2)ある群れにおいて、ある場所においてはモノ的近傍概念が使われており、別の場所ではコト的近傍概念が使われている、という風にも(時間的非同期だけでなく空間的非同期も)考えられるということだ。
●これは、個体が群れをどう見ているのかということでもある。非同期的時間はそこから出てくる。
≪他個体を同定し区別して、世界から孤立させて扱うこと、もしくはそれを集合的に単純に足し合わせて可能なものとして扱うこと、それが個体をモノ化することである。
一方、他個体をコト化するとは、他個体を周囲と区別せず、不明瞭につながったある連続として扱うことを意味するだろう。右側3メートルの位置に並走する他個体が、明瞭な境界をもったムクドリ---モノとしてのムクドリ---ではなく、もっと大きなぼんやりした領域として知覚されるようなものだ。
それは過去の運動を参照して得られる予期されたムクドリであり、コトとしてのムクドリということになるだろう(点や1個の値を未来に対して計算する事を「予測」、一つの点や値として決定することが不可能で、幅や領域としてのみ決定される未来に対してする計算を「予期」といって、両者を区別する)。≫
≪このように構想されるモノとコトは、私たちに再度、非同期的時間という概念の重要性を思い起こさせる。瞬間における位置と速度は、可能性のなかから選択された実現の結果であり、過去から未来への時間に順行した過程である。
他方、予期は、実現された結果から可能性の束を開設する、未来から過去への時間に逆行した過程である。通常、未来から過去への過程は、因果律を破るため想定できない。
しかし、過去からの時間の流れ、未来からの時間の流れが交差する場は想定可能だ。それはすべてが同期して時間を進める場ではなく、バラバラに起きる場、つまり非同期な、時間が局所的に進行する場であるに違いない。≫
●ここまでは先行する研究の検討であり、ここから独自の研究への言及になる。