●『群れは意識をもつ』(郡司ペギオ-幸夫)、第四章のメモのつづき。
カニ計算機(コンピュータ)について。
カニ時計において、カニたちは引き延ばされた楕円のような形(外枠)を受動的に与えられ、その内部で、能動的に群れの生成と解体を繰り返す周期をつくりだした。外枠が定められることで、その挙動を一意的に制御できた。一方、群れの全体-部分という関係(強相関領域)の話では、空間的な限定(枠組み)はなくて、群れは自由に(能動的に)振る舞う結果として、そのような関係があらわれた。この中間として、完全に自由でもなく、一意的でもない、与えられる文脈によって異なる挙動が得られるような、そのような「枠組み」を考えることはできないだろうか。
例えばコンピュータによる計算は基本的に、二進法による入力に対して、OR演算、AND演算、NOT演算を行って、その真理値を出力するという回路の組み合わせで成立している。例えば、入力xが「1」で入力yが「0」でOR演算をするゲートを電子が通ると、真理値「1」が出力される。入力xが「1」でNOT演算を行うゲートを通ると出力「0」が得られる、という風に。ある入力が、一定の規則で変換されて出力されることを計算と言うならば、電子のかわりにカニの群れを使って、例えばOR演算が行えるような装置を作れば、カニの群れによって計算を行う、カニ・コンピュータが実現できる。
●ここで本から離れて勝手な連想を書くのだが、ドイッチュが言う、「計算(情報)は物理的な過程なのだ」という言葉が、このカニ計算機によって実感される。しかしドイッチュの発言は、計算(情報)の、コト的な側面に対してモノ的な側面だけを強調する言い方だとこの本の著者なら言うのかもしれない。カニ計算機という実験がおもしろいのは、この装置がまさに、計算というものが、コトがモノ化する過程と、モノ化したモノが再びコト化される過程によって成り立っているのだということが、とても生々しいイメージをともなって示されるからだと思う。
●例えば、群れによるANDゲートのモデル。入力側に二本の通路があり、それがXのように交差して出力側につながっているのだけど、Xがクロスする地点で出力側のVの真ん中にもう一本の通路が追加され、出力側の通路が(カラスの足跡みたいな形に)三本になるような装置をつくれば、カニの群れによってAND演算が可能になる。
二つの入力口の一方をx、もう一方をyとして、xが「1」でyが「1」を入力する時、二つの入力口にそれぞれカニの群れを置き、ミナミコメツキガニは背の高いものを見ると天敵と思って逃げるので、カニ脅しを立てて出力側へと誘導する。群れが一方の入力口にしかいない場合は、カニの群れは直進するので対角線の位置にある出力口に達するが、両側にいる場合、通路がクロスした位置で群れが出会い、出会うことで密になった群れは方向を変えて中央の出力口に達する。つまり、中央の出力口に達すれば入力「xANDy」は真理だということであり、出力は「1」になる。この時、真理値「1」を示す出力口に達する群れは、あらかじめあるものではなく、ゲートがクロスする場所で(計算の度にその都度新たに)生成されるという点が重要だ。計算の結果は計算より前に(そして計算の後もずっと)あるのではなくて、計算---個体間の相互作用---によってその都度生成される。
《(…)真理値が単にモノ、状態というのではなく、モノ化という生成過程を内在している点に意味がある。》
《真理値1である群れは、あらかじめ存在していないし、未来永劫にわたって安定しているわけでもない。入力口に置かれた群れは、個体間の相互作用によって互いを予期し、移動する個体がある選択をすることでコトはモノ化する。このモノ化の過程こそが、内的なゆらぎ---モノとしての個の自由---と、一個の全体性---コト---を両立させることで成立する動的な群れ、つまりモノ=モノ化なのである。》
●そしてこの「カニの群れコンピュータ」においては、内的なゆらぎ(個の自由度)が大きいほど、「群れ」としては外的なゆらぎ(環境の変化)に強いものとなるということが、シミュレーションによって分かる。
相互予期モデルにおいては、可能的遷移数が大きいということは個の移動先の選択肢が多いということなので、個の自由度が高く、そのような個体で構成される群れは、内的なゆらぎが大きいことになる。可能的遷移数の多い個体は、孤立すると乱れた動きをみせる。しかし、可能的遷位数が多いことによって個と個との重複(相互作用)が起きやすくなり、群れの形成を可能にし、個体間の関係(相互予期ネットワーク)を密にする。そしてこの可能的遷位数の多さは、外的なゆらぎさえも内的なゆらぎとして取り込むことを可能にするのだという。
シミュレーションされたカニ・コンピュータ(ANDゲート)の挙動を見ても、可能的遷移数の多い個体による群れは、外的なゆらぎの大きさに強い耐性をみせ、ゆらぎが増大しても高い確率で正しく作動する。一方、可能的遷移数の少ない個体による群れ(可能的遷移が極端に少ない「1」であるのがボイドモデルだった)においては、外的なゆらぎが小さい時には高い精度をもつが、すこしでも大きくなるとすぐに挙動がおかしくなる。
《このことは、開かれた環境のなかで使用可能な計算機を製作しようとする者にとって、とても示唆的だ。》
《不安定でゆらぎのだらけの環境では、逆にゆらぎを利用して絶えず動的に生成されるモノ=モノ化、こそが効率的な計算担体だということになる。》
《動的な群れという計算担体は、1個の安定な、あらかじめできあがっている玉のようにみえながら、実は絶えず解体、修正、生成されて、1個の玉のように振る舞っている。絶えず生成されているからこそ、外的ゆらぎによって目に見える形で壊されても、自律的に修正・生成される。》