●『げんしけん二代目』十一話。今回は(腐女子ネタ抜きの)普通にいい話だったけど、この展開にはちょっと不満がある。
げんしけん」の最大の弱点は春日部さんだと思っていて、つまり春日部さんを過剰に立派な人にしすぎている(そして、物語がその立派さに頼りすぎている)と思う。春日部さんは当初、オタクとはまったく相入れない場違いな人として登場し、春日部さんと「げんしけん」メンバーたちは、相入れないながらも互いの存在を少しずつ受け入れてゆく、その過程が「げんしけん」という作品として物語られていた。それは異質な者同士の、あくまで対等な関係であり、摩擦であったはずだ。
しかしそれがいつの間にか、一方の春日部さんの側の鷹揚な受容力ばかりが際だってきて、春日部さんが、すべてを受け入れたうえでメンバーたち叱咤激励する「げんしけんの母」のような存在になってしまった感じがある。
確かに、春日部さんの姉御肌、鷹揚さ、懐の深さは、「げんしけんOVA」や「げんしけん2」の段階では、荻上さんや朽木くんのような極端にヤバい(痛い)キャラを「げんしけん」がうまく受け入れるために必要だったと言えるかもしれない。しかし『げんしけん二代目』は、「げんしけん」のメンバーたちが(あるいは「げんしけん」という場が)春日部さんの(母の)力への依存から卒業し、その力なしでやっていく、という話でもあると思う。例えば荻上さんは、「げんしけん」の会長として(あれほど嫌っていた)朽木くんを、自分の力でメンバーの一人として「受け入れ」て「対処できる」ようにならなければならないし、実際そのように努力してやっている。
(「二代目」では、波戸くんや斑目、新入部員たちが目立っているのでイマイチ地味だけど、「げんしけん」全体として最も成長している---努力している---キャラだという意味で荻上さんの存在は重要だろう。)
げんしけん二代目』がそのような話であるとすれば、斑目が春日部さんから「きちんとフられる」ことが、この作品の重要な一部として組み込まれていることには納得できる。しかしこの場面でも、春日部さんがあまりにも立派な人であるために、斑目が「がんばる」ことのできる余地がほとんど残されていなかった。斑目は、ほとんど、春日部さんのおかげで春日部さんにフられることができたという感じになってしまっているので(ここでも春日部さんは母になってしまっているので)、もうちょっと斑目に自力でがんばらせてあげてよ、がんばる余地をつくってあげてよ、と思ってしまった。
ここで春日部さんには、少しデリカシーに欠けるくらいの感じで、オタク男のヘタレな心なんてわかんねーよ、くらいの感じで突き放してもらわないと、斑目としては手も足も出せないし、救われない感じがする。
●初期の頃に春日部さんが担っていた役割を「二代目」で担っているのが笹原・妹だろう。笹原・妹にはもっと活躍してほしいと思うのだけど、彼女は八王子のキャバクラで働いているらしいから、八王子から椎応大学(中央大学)へ行くには、距離的には遠くないけど交通が不便なので、設定からしても、頻繁に「げんしけん」の人たちと絡むのは難しいのかもしれない。