●無関心でいることの重要性、スルーすることが出来るということの重要性ということを思う。つい口を挟みたくなってしまっても、それを抑制するということ、とか。
ある問題をあたかも問題であるかのように語ることの罠というものがある。それをことさら話題にすることで、あたかもそれが強固なものであるかのように自分自身にも周囲に対しても再度それを改めて刷り込んでしまう罠、というような。回帰しなくても済んだかもしれないものを回帰させ、それによって黙っていれば消えていたかもしれないものを強化さえしてしまいかねない、というような。
人が何かの問題について熱く語る時、そのことに絶望するとともに、そうであることを再度確認して妙に安心もするという、トラウマへの固着みたいなことが起こっているのではないかと感じてしまう。
魅力的なわけでも切実な(そこからどうしようもなく逃げられない)わけでもないことを問題にすることは危険なことなのではないかと思う。つまらなくて、逃げられるものなら、たんに逃げればよい。たとえそれを否定するとしても、あるいは「ネタ」としてでも、それを取り上げることはそれに引っ張られているということになる。
人の欲望がネガティブなものへと巻き取られてゆく時の(そうであることこそが誠実な態度であるかのように感じられてしまう時の)、そのあり様が気になる。