●『進撃の巨人』、一応最後まで観た。といっても、話は全然終わっていないし、区切りすらついていない感じ。
で、結局これって「ブラック企業万歳」という話なのか、と思ってしまった。というか、世界全体がブラック企業化してしまったとしたら、そこで生きる人は、それぞれのやり方でそれに必死に適応する(ブラックに染まる)しかない、という話だというべきか。世界全体が脅迫と脅迫で塗りつぶされ、無根拠に繰り返し回帰してくる圧倒的な(ほとんど恐怖症的な)恐怖と破壊によって尻を叩かれ、環境への過剰なまでの適応へと、追い込まれるように強要される。そこでは主体には常に莫大な負荷がかかり、その負荷が適応へのモーターのさらなる動力源となり、必要以上の適応への希求がほとんど自滅(自傷)への希求と区別がつかないほどにまで昂進する(「エヴァ」のシンジのように、悩んだり逡巡したりできる余裕さえない、そしてここには、「同志」はいても、「登場人物を見守る大人」のような存在がきわめて希薄だ)。そのような世界で、積極的な自滅こそが環境への適応であり、環境そのものの転覆のキーでさえあるかのような幻想―錯覚が生まれるまでに追い詰められる(自傷行為から巨人化へ)。
いや、でもそれはヤバいループなんだ、そこにハマったら駄目なんだ、と思うのだけど、そこにハマってしまった人にとっては、辛いことには辛いなりの充実感があり、ブラックな環境のなかで育まれる友情があり、過剰な負荷への嗜癖のようなものさえ生まれ、そして「そこ」から逃げることへの罪悪感も生じるので、そういう声はなかなか届かない。あるいはこれが「戦場」というもののリアリズムなのかもしれない。
(「エヴァ」における「傷だらけの綾波レイ」というイメージは、あくまで享楽の対象としてあって、主体からは一定の距離をもち主体を誘引する「イメージ」だといえるけど、この作品の「自傷→巨人化(力の獲得)」という因果的連鎖は、距離のない直接的な自罰的行為であり、それが力と能動性の幻想とトレードオフ的に結びついているのだから、これは相当ヤバい幻想だと思う。主人公が最初に巨人化した時は、敵を内化して逆転するみたいな感じで、おおっと思って感心したけど、その後、巨人化しようとするたび親指を食いちぎる、みたいな流れになって、正直、これは勘弁してほしいと思った。)
(「エヴァ」の場合は「心のなかの戦い」という感じが強くあったけど、この作品は、心もへったくれもなく、心が成立するより以前にある「外から一方的にやってくる攻撃」がモチーフになっていて、そのような環境に晒されている人が、どのような形で心を形成してしまうか、せざるを得ないか、みたいな感じになっている。)
この物語を観ながらずっと感じていたのはたぶん「恐怖」で、それは、自分は絶対こんな世界にハマりたくない、という種類の恐怖だ。だからぼくはこの物語を好きにはなれないし、登場人物に対して感情移入もできない。ただひたすら、彼らは気の毒だと思い、いたたまれないと感じる。「この世界は残酷だ、しかし美しい」という決めゼリフのようなセリフがあるけど、この作品世界は、確かに残酷だけど、ちっとも美しくはない。これを「美しい」と思ってしまうことこそがヤバいんだ、とぼくは思う。それを「美しい」と思うな、そこを嫌悪し、そこから逃げることをまず考え、そしてもっと必死に考えろ、と声を大にして言いたい。「強くなる」って、そういうことじゃないだろ、と。だけど、きっと当事者である登場人物たちには声は届かないだろうと思って(彼らには「ここから逃げられない」という絶望があり、その絶望への強い否認が、過剰な適応への動力源となっているので、「逃げたい」と感じてしまえば、「絶望」が回帰してしまう、なので、そう思うことを強く抑圧するだろう)、さらに気持ちが暗くなり、もし自分がそこにいたら……と、作品世界への恐怖がさらに強くなる。
この作品をちっとも好きにはなれないけど、この嫌な恐怖だけはリアルかもしれないとは思った。こんな作品が流行るのだから、今はそうとう酷い時代なのかもしれないとも思った。
●面白いと思った点が二つあった。
(1)巨人の存在やイメージがまったく意味不明なところが面白い。巨人が、不気味だけど笑えるところが、この作品の唯一の救いだ、ともいえるが、逆に、人の形をしているにもかかわらず、敵に「内面」をまったく感じることが出来ないという意味で、かなり絶望的な感じだとも言える(「情動」の回路が働いていない)。
(2)唐突な後出しジャンケン的回想シーンの挿入によって物語の展開の根拠の提示と説明とを済ませてしてしまう、という話の運び方が、あまりに強引で粗っぽ過ぎて、かえって前衛的だと感じられた。普通、伏線というのは事前に仕込んでおくものなのだと思うけど、伏線を事後的に回想によってねつ造するようにねじ込むというのは相当な荒業だと思う。ある展開の最中に、その展開の根拠となる回想を無理やり挿入する。しかもその手を何度も使っている。この粗っぽさが、物語世界の理不尽さの印象を一層強くしているとも言える。
●昨日の夜に、『蟲師』の特別編というのをやっていた。今年四月から第二期がはじまるらしい。特別編は、悪くはないと思ったけど、でも、どうしても少し「薄く」なっている感じはした。『蟲師』の新シリーズはもういいんじゃないか、最初のシリーズでやるべきことはしっかりやり切っているんじゃないかと思うのだけど。