●哲学者の清水高志さんの自邸、s-house(設計・柄沢祐輔)にお邪魔させていただく。その後、清水さん、詩人の渡ひろこさん、永方ゆかさんと新年会。
●以下、清水さんの許可をもらって、s-house内部の写真を何枚か載せます。完成予想図や模型は前に観ていたけど、実際に観ると予想以上にすごい。








この空間のなかで、他人が動いているのがすごく面白かった。動線が迷路のように複雑で、かつ、全体が一つのワンルームのようでもある。だから、複雑な動線を動いている人の動きがすべて見える。そして、見ている人と動いている人の「高さ」が頻繁にずれるようになっている。
例えば、ぼくがリビングにいて、清水さんがコーヒーでもいれましょうかという時、キッチンはリビングと同じ高さで、グリッドの隙間からすぐそこに見えているのだけど、半階昇って書斎を通って、そこから半階降りてようやくキッチンにたどり着く。そしてその動きがすべて見えている(見えてはいるけどフレームによって仕切られている)。高さが半分ずれたところで動いている人の姿は、舞台の上の俳優のようであり、同時に何故か、自分の分身であるかのようにも感じられる。迂回するというだけでなく、高さが半分ずれるというのがすごく不思議な感覚だった。既に実際に清水さんが住んでいる空間なので、プライベートな雰囲気があるのだけど、人が動いて、高さが半階ずれるのを見ると、そのプライベートな感じがそのままメタ化して、しかしそれが、ただ人の動きが演劇的にフレーム化されるというのではなく、何故かその時見ている他人の動きが、自分の動きを外から見ているみたいな感じに感じられたのだった。自分と他人の区別がつかなくなるような感じ。何故そうなるのか分からないのだけど、この家の空間が、相似的で、しかし微妙にキャラクターの違うフレームの多重な重ね合わせのようになっているからなのではないか。
それで思ったのは、この空間に、十人くらいの人がいて、それぞれバラバラに動いているのを見たら、自分が十人に分裂して動いているように、リアルに感じられるのではないか、ということだった。
だからきっと、この空間の面白さは静止画ではなかなか伝わらなくて、人が動いているいくつかの動画をモンタージュするというような形で、ようやく伝わるようなものなのではないかと思った。事前に「GA HOUSES」に載っていた写真は見ていたのだけど、ああいう写真ではこの空間の面白さを伝えるのはなかなか難しいんじゃないかと思った。
●蛇足。今日は富士山がとても大きく見えた。