●東大駒場セミナー「外界を観る」(嶋田正和・開一夫・池上高志)を聴講して、その後(ずいぶん遅れて)両国のアートトレイスの松浦寿夫連続講義に行く。電車に乗っている時間で「映画術」(塩田明彦)を読んだ。
「映画術」は思いのほか面白かった。正直、内容的にはほとんど新鮮味を感じられなかったのだけど、この本の面白さは、映画好きの人、あるいは映画作家を目指す人に向けてではなく、俳優を目指す人に向けて語られた講義が元になっているという、語りの(語る人の)「構え」から来るもののように思われた。だからこの本は、「映画作家が語った」という語りの主体によって特徴づけられる本というよりも、「俳優志望の人たちに向けられた」という、語りの相手(との関係)によって特徴づけられる本だと思った。それは、これが、現役の監督によって演技のハウトゥーや俳優として必要な心構えが語られている本だ、という意味ではない。そうではなく、映画をつくるという場において、監督と俳優というかなり違う立場にある者への緊張(関係)のようなものが、この本の語りに作用していて、それがこの本の面白さを開いているように感じられたということだ。
同じ映画を一緒につくっている同志でありながら、監督にとって俳優はあくまで「向こう側」(カメラの向こう側であり、スクリーンの向こう側でもある)にいる存在なのではないか。あるいは、同じ「映画」というものに対して、監督と俳優とではまったく違う捉え方で接近しようとするのではないか。この本を読んでいて感じられたのはそういう「関係」で、同じものを別の側から見ている人に、自分の側の言葉をどう届けるのか、という語りであるように感じられた。