●下にリンクするブログの「ロードマップ指向とエコシステム思考」という記事を読んでいて、昨日の筒井宏樹×組立《オルタナティブ・アート・セオリーに向けて》で語られていた、「いまやすべてがオルタナティブとなってしまっていて、センターが存在せず、例えば国立近代美術館の学芸員さえオルタナティブという意識でやっている」という話を思いだした。
(とはいえ、センター、あるいはロードマップのようもの――思考法――が完全に機能しなくなることはきっとなくて――おそらくそこには人間の認知限界が絡んでくる――、両者のシステムを場当たり的に使い分ける感じになるしかないのだと思われ、そこにこそ大きな問題があるようにも思うのだが。)
アンカテ「ロードマップ指向とエコシステム思考」
http://d.hatena.ne.jp/essa/20140330
≪IT業界の世代間ギャップを「ロードマップ指向 VS エコシステム指向」という図式でまとめるとうまく整理できるような気がしてきた。
他の業界でも、常に勉強してないと仕事にならない所では、似たような問題があるかもしれない。普通の人は「ロードマップ」の中では真ん中を進むべきで、「エコシステム」の中では真ん中を避けるべきだ、という話。≫
≪90年代くらいまでは、IT業界には「ロードマップ」という長期計画があった。基本的には、コンピュータメーカが顧客に対して「うちは、今後数年間、こういう技術でこういう問題を解決していきます」という見込みを述べて、セールスのプロモーションに使うものだ。
しかし、これは単なる売り込みの口上ではなくて、技術者サイドに計画的なスキル開発を促すものでもあった。≫
≪この時代を経験している人は、今でもこの「ロードマップ」があるかのように、プログラマの勉強について考えているような気がする。つまり、これに従えば確実に見返りがあって、これに遅れると確実に失業するような計画表がどこかにあって、それを読みとることが成功で、それを読みきれないことが失敗であると。
しかし、今の業界は、「エコシステム」の時代だ。熱帯雨林のように、食いあいつつ共生しあうさまざなタイプのプレイヤーが、自分の為だけの個別の意思決定をして、その相互作用で技術が発展していく。≫
≪「ロードマップ」も「エコシステム」もプログラマにとって適応すべき環境であることは同じだが、その適応のしかたは随分違っている。「ロードマップ」は、相手の意図を読み取ることが重要だが、「エコシステム」には意図がない。意図を持つのは自分の方で、自分の意図が明確にならないと、方針が決められない。
「ロードマップ」には全体像があって、全体像を把握した上で自分に関連する部分の詳細を見ていくことが必要だが、「エコシステム」は人間の理解を超えていて全体像は見えない。むしろ、最初に自分の回りを見て、必要に応じて、視野を少しづつ拡大していく見方の方が有用で現実的だ。
「ロードマップ」が指し示す未来の方向と違う方向に進むことは致命的な間違いだが、「エコシステム」はむしろ中心部がレッドオーシャンで、周辺部に生き残りが容易なブルーオーシャンがある。「エコシステム」の中で王道を進むには、並みはずれた他の者にはない強みを持っている必要がある。
普通の人は「ロードマップ」の中では真ん中を進むべきで、「エコシステム」の中では真ん中を避けるべきだ。≫