●これはさすがに酷いなあ、と思った。「“独立”する富裕層 〜アメリカ 深まる社会の分断〜」(クローズアップ現代)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3488_1.html
勝ち組が、この世界の美味しいところを全部かっさらって別世界へと旅立ってしまえば、残された大多数の者たちは、残りの微かな世界の絞りかすを分け合ってゆくしかなくなる。
ただ、「独立」とは言っても、彼らの独立は地方自治体のレベルで、アメリカ(国家)から独立できるわけではない。つまり、アメリカの法と権力によって守られ、アメリカのインフラや生産力を地盤とし、アメリカの政治がそれを許している限りで可能な独立でしかない。ならば、こういう極端な動きが目立てば、それに対抗する、あるいは抑制する動きがアメリカ内部から生まれてきて、それらの動きを無視できなくなるのではないか。人間はその程度には賢いのではないかと思う。それが、格差拡大の根本的な解決には決してならないとしても。
●お金持ちは、格差の原因ではなく結果に過ぎない。お金持ちがお金を稼ぐから格差が広がるわけではない。貧乏人もお金持ちも、どちらも格差を生む構造の結果であって、その構造に対してはどちらも同様に無力であろう。とはいえ、お金とは社会的な能動力そのものだから、お金を持っている人は社会に働きかける一定の力をもち、力をもつことによって一定の責任も負う。
●行政のコストを徹底して合理化して、その分、税金を安くするというのではなく、浮いた分で警察と消防を強化するというのだから、あからさまに、貧乏人を排斥して、「俺たち」の税金で「俺たち」の快適な生活をサポートしろよ、ということになる。だけどこれは、簡単に利己的という言葉では追いつかないことであるように思う。実際、冷静に長期的に考えれば、彼らの行動は彼ら自身にとっても必ずしも有利だとは思えないので、合理性とは別の「信念」のようなものに導かれているのではないか。「私の会社をサポートしてくれる自治体をつくりたい」とか「所得の再分配は人の金を盗む行為だと思います」とかいう言葉を、カメラの前に顔をさらして堂々と言えてしまうとかいうのは、何か一線を越えた狂信的な確信がなければ出来ないことなのではないか(ホンネではそう思っていたとしたって、匿名でする放言とは違うのだし)。
おそらく彼らはそれを、利己的な動機によってではなく、本気で「正しいこと」として実行しようとしているのではないか。金持ちたちをこんな風な「信仰」へと動かしているものは一体何なのだろうか。そのような極端な「正義」(再分配を「盗み」とするような)を必要とする、なにかしらの恐怖や、形にならない不安のようなものがあるのではないか。
●これはまったく何の根拠もない勝手な想像だけど、お金持ちも、高級住宅地とはいえ、他から完全に切り離されているわけではなく、街の中の「比較的」に環境のよいとされる土地に住んでいるわけだから、中間層もいなくなって、格差が断絶となって広がりつつある荒廃する街の中にいて、「なんか、俺たちって妙に浮いてねえか」という風に、周囲からの視線をじわじわ感じるようになるのではないか。そうなると、不安や孤立感、そして疎外感も高まってしまうのではないか。荒廃した地域がじわじわ広がってゆくなかで、貧乏人たちが、不気味で捉えどころのない(未知のウイルスや放射能のような)じわじわ浸食して自分たちをも侵す脅威のように感じられてくるのではないか。そこで、自治体は貧乏人ばかり気にかけやがって、俺たちのことを軽く見すぎてんじゃねえの、という、転倒した疎外感(被害妄想)のようなものが生まれるのではないか。そして、「仲間」と「城壁」が欲しくなるのではないか。
彼らは、貧乏人たちを無視しているのではなく、無視できないからこそ、無視できるような環境をつくりたい、そこに逃げ込みたい、のではないか。彼らもまた、何かに追い詰められての行動なのではないか。
●このような事態を、資本主義や新自由主義の帰結だとして、すぐさま、このままいくと大変なことになる、ディストピアがくる、とか短絡して騒ぎ立てるのはちょっと違う気がする。それらとはまったく無関係ではないにしろ、これはあくまで、ある極端な、あまりに極端な出来事なのではないか。
(でも、もっと頭のいいお金持ちたちは、このような、あからさまに社会的に非難を受けるような分かり易い形ではなく、もっと洗練されて、外からは簡単には分からない形で、お金持ち同志だけで排他的に結ばれた相互利益のためのネットワークをつくっているのではないか。我々には見えないけど、既にあるかもしれない、分離された別世界として、本当の「独立」を考えて――実現して?――いるのかも。あんまりこういうことを言い過ぎると陰謀論になるけど。)