●5月29日の日記の明晰夢の話で、「Physical Review Letters」に掲載された論文に書かれていたことだと書いたけど、そうではなく「Nature Neuroscience」の間違いではないかという指摘をメールでいただいた。
http://www.nature.com/neuro/journal/v17/n6/full/nn.3719.html
上のリンク先をみると、確かにぼくが聞いた話と同じで、小っちゃくてよく見えないけど、そこに載っているグラフや図と同じものを見せてもらった記憶がある。
でも、確かに「Physical Review Letters」と聞いた気がするのだが、それはこの話ではなくて、もう一つ聞いたコネクトームの話の方だったのかもしれない。
コネクトームの話をここで要約して書くのは難しいのだけど、それで一つ面白いと思ったことを書いてみる。
例えば、何かをした時に脳のどの部位が活性化するのかということを調べようとすると、まずその前に、ほとんど何もしていない、感情的にも落ち着いた平静状態の脳の活動を調べて、そこからどう変化するのかをみる必要がある。つまり、差をとるための基準が必要になる。そのような、人がほとんど何もしていない時にも常に活動している脳の部位の集団をRSNというらしい。で、RSNの部位と機能は大雑把に下の通りになる、と。
前頭前野(価値判断・ワーキングメモリ)
海馬(エヒソード記憶作成)
プレカンヌス(自分と他人の区別)
ミラー(身体感覚)
で、これらを全部あわせると、だいたい「自我」っぽいものが出来そうなネットワークになる、と。逆に言えば、ここらへんの部位に何かしらのテクニック(瞑想とか薬物とか)によって介入することで、通常の「わたし」とは異なる、変性意識状態のようなものが作れるはずで、そういうことを追究してきた人は過去にも数多くいるだろう、と。ただ、今では、ここの部位がこうだ、みたいなことまでかなり具体的に分かるようになってしまっている、と。
例えば、プレカンヌスに対して上手いこと働きかけて、病的ではない感じで自他の区別を緩くすることが出来れば、目の前にいる他人の経験を「わたしの経験」として感じることも出来るかもしれない。それが可能ならば、死への恐怖もかなり緩和されるのではないか。科学的なスピリチュアリズムみたいな話になりそうだけど。勿論これは、危険と言えばおそろしく危険な話でもある。