高倉健も死ぬんだという(当たり前であるはずの)事実に、予想外の大きなショックを受けている。
●グーグルがつくったという「Ingress」という位置情報を用いた拡張現実のゲームがあるということを人から聞いて、『電脳コイル』の世界がリアルに近づいているのだと感じた(あるいは、『ロボティクス・ノーツ』の「君島レポート」探しの方が近いのか)。
要するに陣取りゲームで、現実世界とぴったり重ねられた仮想世界のなかに散らばるポータル(拠点)をハックし、ポータルを三点ハックすると、それによって結ばれた区画が自分の陣営の陣地になって、その陣地内の人口が陣営のポイントとなる、というものらしい(原理としてはオセロゲーム的な陣取りゲームだろう)。そして、ポータルをハックするためには、スマホをもって現実上のその場所にまでいかなくてはならない、と。つまり、現実空間を実際に移動することを通じて、現実世界の精確なコピーである仮想空間(地球上のすべての場所がカバーされているという)の陣取りをするというものだ。でもこれは実質的には、全世界を舞台にして(あるいは、リアルな全世界を「そのまま盤面として利用して」)陣取り遊びをしていることと同じだろう。
個人でそのようなことを妄想することは可能だろう。あるいは、複数の仲間たちと、同様のルールを決めてゲームをすることもできるだろう(サバイバルゲームとか)。あるいは、そのようなフィクションを物語としてつくることも可能だ(たとえばリヴェットの『北の橋』では、パリの街が双六の盤面と重ねられていた)。そもそも人は空間を様々に見立てて、その見立ての織り重ねとして現実を認識する。しかしこの「Ingress」の場合、このゲームに参加している世界中のすべての人の行動とその結果が逐一、リアルタイムで仮想空間に影響し反映されて情勢が変化する。とはいえ、それだけなら、ほかのオンラインゲームでも同じだろう。しかしここでは、その仮想空間は、実際の現実世界とほぼぴったりと重ね合わせられている。仮想空間で「陣地をとる」ためには、現実空間を移動し、実際にその場所までいかなければならないということは、目的は仮想空間の方にあって、現実空間の方がコントロールパネル(手段)となっているということで、主従が逆転している。
(このような主従逆転は、アニメなどのいわゆる「聖地巡礼」にもみられるのだけど、聖地巡礼という行為がダイレクトにアニメ作品の内容――仮想空間――に反映することはない。)
現実空間の上を、仮想空間がすっぽり覆い尽くすことで、事実上その区別がなくなる。いわば極端に拡張された象徴界(座標と情報)が限りなく高い精度で現実(物質とその配置)そのものの似姿になり、あるいはもう一つの現実となる(もともと人はそのようにして空間を観ていたのかもしれないが、それが個々の頭のなかの出来事としてだけでなく、「共有されたもの」になることで、事実上「現実」となる)。そうなると、物質と情報とは等価であり、同じものの二つの異なる表現形である、かのようにみえるようになる。であれば、物質から情報へ、情報から物質への相転移が可能である、かのようにみえるようになる(実際、3Dスキャナーと3Dプリンターはそれを可能にする媒介のようにみえる)。このような感覚を利用して、『電脳コイル』は、物語の舞台である世界のなかに魔法(物理的現実を情報的に書きかえる技法)を導入し、この世(生)とあの世(死)とをつなぐ物語に説得力(リアリティ)をもたせていた。
(もう一方のVRの技術――例えばオキュラスのような――は、今どんな感じになっているのだろうか。)