●『楽園追放』をDVDで。うーん、これはなあ、という感じ。
まず、前半はおもろいと思ったところが一つもなかった。唯一の見所がセルルック3DCGでここまで出来るのか、という技術的なことくらい。とはいえ、これだけ出来るというのはすごい、と素直に思う。(これは技術的な問題なのか、単に演出や演技の付け方の問題なのか分からないけど)ヒロインのアクション以外の普通の動きがところどころちょっとぎこちないとか、動きや演技に限らず、前半はヒロインのキャラの造形があざとい感じがあるとか、つっこみどころが全くないわけではないけど、セルルック3DCGに関しては、そんなことよりも驚きの方がずっと大きい。でも、見るべきところはそれだけ。
後半、人工知能が出てきてから以降の展開は、おもしろいとまでは言えないけど、嫌いじゃないというか、いい話ではあると思った。この作品は、何か新しい世界観なりヴィジョンなりを示すSFではなくて、非常にクラシックな「いい話」なのだと思った。
(おそらくこの物語のメインは後半なのだろうけど、しかし、とはいっても前半の物語の構築がややいい加減であるように感じられた。例えば、未知の敵に近づいてゆくやり方が無防備すぎる。取引した物資に発信機なんかつけて、もし敵が凶悪な存在だった場合、それが相手に見つかったら、当然、お爺さんの代から仕事をしているという取引した人をかなり危険な立場に追いやってしまうはず。そういう想像力や配慮はないのだろうか、とか思ってしまった。おそらく、「敵は凶悪な存在ではい」というのが先に決まっていて、後から逆算して展開を考えているから、あれでOKになっているのだろうけど、観客はそれを知らないわけだから、主人公たちについて、なんと迂闊で、他人の危険を考慮しない人たちなのか、と思ってしまう。)
オーソドックスでとても「いい話」ではあるので、脚本をもっと練っていれば、ずっと面白くなったはずなのに、と思いながら、後半を観ていた。クライマックスの戦闘シーンはさすがにすごかった。
(ちょっとしたツッコミだけど、作中で、非ヴァーチャル側の相棒がヴァーチャル世界について、「ヴァーチャル世界とはいってもリソースが有限だから、優秀と認められない個体は十分なスペックの配分が得られなくて、結果、競争が激しくなるのではないか」という意味のことを言う場面があったけど、それはいわれのない批判で、ムーアの法則を考えれば、そこはほぼ無限に近い拡張が実現されているはずだから、たとえ最下層でもスペックはどんどん拡大してゆくのではないか、と思ったりもした……。それとも、ヴァーチャル世界はもともと、ナノハザードに対する緊急避難的な場所としてつくられたから、最初の設定以上の拡張はみこめないということなのだろうか。全体的に、ヴァーチャル/リアルの対比のさせ方がありきたりだと思うけど、それは、あえて「古い感じのSF」のテイストにしているようにも感じた。)
あと、「サイコパス」とかなり被っている感じがしたのだけど、「サイコパス」の劇場版もこんな感じだったらけっこうがっかりだと思う(そちらの方はちゃんと「新しい世界観」を見せて欲しい)。とにかく、「管理社会」のイメージは凡庸すぎるように思われた。
(「管理社会」のイメージは、未来のヴィジョンというより、たんに現在の「空気読め社会」(という気分)を反映しているということなのかもしれない。ヴァーチャル世界とリアル世界との対比にしても、新しいテクノロジーによって開かれ得る――想像することが可能になる――新しいリアリティの提示というよりも、たんに、激しく競争するエリートたちの(非情な)世界とそこから零れ落ちた(人間味溢れる)人々の二極化みたいな、ありきたりの「現代社会の(物語的な)図式」なのかもしれない。SFには、現在のリアリティよりも、新しいヴィジョンをみせてほしいと、ぼくなどは思ってしまうのだけど、別に、はじめからそういうことではないのかもしれない。)
(というか、そもそもこの話ではヴァーチャル世界はあまり重要ではなくて、人々から見放された世界のなかで、誰にも知られず何かがひっそりと進行していたという話で、その「見放された」感じを強調するために、対比として、きらびやかなヴァーチャル世界からやってきた若いヒロインが召喚されているということなのか。)