尾道は観光地だけど、団体客がほとんどいないということに(修学旅行の団体を見て)気付いた。一人から、二、三人くらいのグループの人たちが歩きまわっている場合が多いように感じた。
それはきっと、大きな資本が入ってないことや、行政の介入が最小限で、いろんなことが、すごく小さな動きの分厚い重なりと相互作用として起こっていることとも関係があるのだと思う。
鎌倉とかと土地の雰囲気としては近い気がするのだけど、鎌倉だと東京から近いので、ブランド化、高級化してしまい、(もともとの地元の人以外では)ある程度お金がないと手が出せない感じになっているのだと思うけど、尾道は、面白いことがいろいろ起こっているのにもかかわらず、都市部から遠いので、地価が上がらず、お金のない若い人でも、そこに参入して、いろんなことを考え、行動に移す余地があり、それが結果としてさらに面白いことを生むという好循環が成立している感じがする。一つ一つの動きはとても小さくても、それらが上手い事重なり、連なることで、よい空気というか、ある程度自律した小さな文化圏、経済圏を成立させることが可能だという一つの例である気がする。まあ、通りすがりの部外者の目でしかないけど。
あるいは、中央線文化圏などとも雰囲気が似ている気がするけど、中央線沿線よりも、何かを始め、維持し、生活しようとするときに必要なお金の額と労働と努力の量がずっと少なくて済む感じ。それとすごく重要なことで、風景や光などの地理的な条件が圧倒的にすばらしいという点もある。
都会は家賃が高いしギスギスしていて嫌なのだけど、かといって田舎(特に郊外)は文化的な多様性がないのでとても耐えられないから、結局はそれでも都会に住むしかないと考えている人は多いと思うけど、尾道は、田舎の緩くて鷹揚なところと、都会の文化的多様性(と独自性)とが両立している稀有な土地であるように感じる。これは、歴史的、地理的、人的、その他、様々な好条件が重なってようやく成立していることで、他の地方都市が真似しようとしても難しいことだと思うけど。
ただ、このいい感じのためにはある程度の「小ささ」(全体としての規模の小ささという意味でもあり、一つ一つの動きが、個人が始められ――遮二無二努力したりしなくても――維持できるような規模のものであるという意味での小ささでもある)は必要だと思われ、大きな資本や役所などが強い力で介入すると、この「いい感じ」を一挙に台無しにしてしまうことはきっと簡単なのだとも思う。
(例えば、定休日でもないのに店がいきなり休みで貼り紙さえないことが多々あったとしても、まあいいか、よくあることだ、と許容されるような空気が、いかに重要であることか。)
●現在の好循環の起点となったのが「空き家再生プロジェクト」をたちあげた豊田さんという人だと聞く。それが個人の行動から始まっているというところもまたすごいと思う。下のリンクは2012年の記事。
https://www.machigenki.jp/44/k-1550
空き家再生プロジェクトfacebook
https://www.facebook.com/onomichisaisei?ref=hl
●土堂小学校の鯉のぼり。


山陽本線で広島方向へ。


●宮島に立ち寄ってから帰った。