●今期の深夜アニメは、まだおもしろいものが見つけられていないので、『げんしけん二代目』を観直しているのだけど、つくづくすばらしいと改めて思う。ぼくにとってのこの作品のクライマックスは、斑目がふられる場面ではなく、その前の、文化祭に波戸くんの高校の後輩、先輩がやってくるエピソードで、ここは何度観ても完璧にすばらしいと思う。
げんしけん二代目』は、一方で、斑目がどうモラトリアムを卒業できるかという話であり、もう一方で、波戸くんがどうやって自分の欲望と折り合いをつけ、それを肯定的に受け入れられるようになるのかという話であろう。ぼくにとってより重要なのが後者だということになる。
波戸くんにとって、一方に、はじめから自分の欲望を肯定できている人としての神永先輩がいて、もう一方に、紆余曲折があってなんとか自らの欲望と折り合いをつけることができた荻上さんという先輩がいる。勿論、斑目との関係も重要だけど、この二人の人物が魅力的であることがより重要であるように思われる。
げんしけん』『げんしけんOVA』『げんしけん2』における荻上さんは、まさに『げんしけん二代目』の波戸くんの位置にいる。『げんしけん二代目』のすばらしさの一つに、あの荻上さんがこんなに立派になって……、という感慨もある。
例えば、同じ、監督、水島努、シリーズ構成、横手美智子の『SHIROBAKO』は、たしかにすごくよくできていておもしろいのだけど、どうしても全面的に肯定するという感じにはなれなくて、どこかで抵抗が生じてしまう。それは、題材的な疑問(アニメ業界をこんなに「きれいなもの」として描いていいのか)ということも確かにあるけど、それよりも、あまりにも観客を気持ちよくさせることに奉仕しすぎている、あまりにも心地よくすべてが流れてゆきすぎる、という感じへのひっかかりの方が強い。たくさん出てくるキャラの配置やその複雑な導線を操る手捌きはとても見事なのだけど、一人一人のキャラの深みのようなものが『げんしけん二代目』とは違う感じがしてしまう。キャラの持つ欲望がリアルでない、という感じ(勿論、はじめからキャラが「リアルである/ない」が問題とならない作品もあるけど、「SHIROBAKO」はそうではないと思う)。
とはいえ、二話の「あるぴんはいます!」はとてもすばらしかった。