●マーク・スタインバーグというメディア論の研究者が書いた『なぜ日本は<メディアミックスする国>なのか』という本の序章を読んでいて、ちょっと気になったことがあった。筆者は、自分が日本語を学ぼうと思った動機はマンガやアニメが好きだったからではなく、仏教や日本の古典文学に興味があったからだと書いている。しかし……
《一九九〇年代半ば、ぼくが来日した時は、日本の活気あふれたメディア文化に驚いた。音楽や雑誌はもちろん、批評理論の雑誌までが駅の売店で売られていたのだ。ぼくは吉本ばなな村上春樹を読み、ポアダムスやピチカート・ファイブや少年ナイフを聴いた。「InterCommunication」や「批評空間」、「Brutus」は特に熱心に読んだ。松本大洋大友克洋岡崎京子などのマンガも楽しんだ。現代日本文化は豊かで活気に満ちていた。だから、ぼくは現代日本文学を学び始め、そしてそこから、日本の豊穣な視覚文化へと入っていったのだ。》
でも、これは妙な感じだ。この本の帯には「アトム、鉄人28号角川映画ハルヒ、そしてニコ動へ」と書かれていて、この研究はあきらかに「オタク」寄りなのに、引用した部分に上げられている(筆者が洗礼を受けたとする)固有名は、どうみても「サブカル」寄りではないか。
(この本は「メディアミックス」についての研究だけど、ここに挙げられた固有名のうち、多少でもメディアミックス的なのは、自らアニメ映画「AKIRA」の監督をし、アニメだけではなく実写映画の監督作品もある大友克洋くらいだし、しかしそれはメディアミックスと言えるほどの規模ではない。挙げられている固有名で、オタクとの通路があるもの大友だけだろう。)
(つまり、サブカルはあまりメディアミックス的ではなく、どちらかといえばメディウムスペシフィック的であり――入力はともかく出力に関しては――特定のメディウムにこだわる傾向にある――例えば「雑誌」というメディアに対するこだわりなど――ということか。)
つまり著者には、最初に、仏教や古典文学への興味から、九〇年代サブカルへの興味への転向があったとしても、この後、もう一度、今度は「サブカル」から「オタク」への転向があったはずではないだろうか。
この点についての説明として、一応、村上隆の名前が挙げられている。そもそも、サブカルとアートとは親和性が高いけど、オタクとアートとは疎遠であった。そこへ、村上隆が強引にオタクとアートとを結びつけたので、ここに、サブカル→アート→オタクという回路(通路)が開けた。村上隆を媒介として「キャラクター」というものの重要性に目覚めたというようなことが書いてあった。
しかし、それはおそらく「きっかけ」に過ぎなくて、原因というものではないだろう。筆者には、もっと根本的な態度の変更として「サブカル」への興味から「オタク」への興味へと転向した地点が、どこかにあったはずではないだろうか。
なぜそこにこだわるのかと言えば、それはぼく自身の姿でもあるからだ。ぼく自身、九〇年代には少なからず熱狂し、大きな影響も受けた「サブカル」的なものに対して、今ではあまり興味をもつことが出来なくなっている(とはいえ、まったく完全にオタク化したわけでもないというところが、なんとも中途半端なところなのだけど)。これは一体どのような変化なのだろうか。
(ああ、そうか、その転向を促したのが、「キャラクター」や「ストーリー」がメディアを超えたネットワークをつくりだす、日本の「メディアミックス」のあり方だった、というのがこの本なのか。まだ最初の方しか読んでないけど。)
サブカルとオタクとの間に、排他的な対立を見出しても意味がないし、違いを強調して分離させるのも意味がないことだろう。この違いを、政治的な陣取りや綱引きの正当化に利用するのは最悪だ。しかし、そこにはやはり、根本的なモードの違いがあるように思われる。
(ものすごく紋切り型の発想だし、危険な二項対立に陥りがちであることも自覚した上で書くのだけど、オタクとサブカルのモードに違いは、理系と文系のモードの違いに対応するような何かがある気がする。あるいは、倒錯と神経症との違いとか。そこには、普通に人が思っているよりも大きな――というか、根本的な――違いが存在するのではないか。)