●『響け!ユーフォニアム』11話。そんなのはじめから分かってるよ、というくらいの王道(お約束)展開なのだけど、それでも素晴らしい。地図で見るとほとんど同じ地形で同じ道筋なのだけど、実際にそこを歩くと大違い、みたいな感じ。物語は一言で要約できる。事情があってバラバラになってしまった吹奏楽部に、新しい顧問が赴任してきて立て直す。「立て直す」過程が物語であり、その背後に見え隠れして作用している過去の「事情」が深みをつける。
今回良かったのは、初回からずっと(といっても途中は観られていないのだけど)ちらちら見え隠れしていた主人公・黄前の性格の悪さが炸裂しているところ。ブラック黄前の顕在化。
現状の吹奏楽部は、様々な思惑や事情や対立だけでなく、その事情に対する繊細な気配りや配慮が重ねられることでいっそうややこしくなり、張り巡らされた関係の煮詰まりは極限にまで達してしまっているようにみえる。誰もが自分の事情を持つと同時に、誰もが他人たちの事情に配慮し、前にも後ろにも、右にも左にも動けない感じになってしまっている(この、関係の煮詰まりの描出がすごいわけだが)。そのなかで、ほぼ黄前だけが他人の事情に配慮することなく、ただ「高坂に特別な存在であってほしい」という自分の欲望のためだけに迷いなく行動する。
中世古を慕うあまりに強引な行動に出る吉川でさえ、自分の行動や感情に確信をもてなくなって揺らいでいる(この揺らぎの描出もすばらしい)。我が道を行く田中でさえ、中世古に接する態度は歯切れが悪い(この微妙な関係の描出もすばらしい、この関係がきちんと描かれているからこそ、高坂のオーディション演奏を聴く田中の表情に、深い謎の気配が感じられるようになる)。中世古の人柄や事情を知ることで、自己中心的なはずのライバル高坂でさえ揺らいでいる。そりゃあ「人間らしい心」があれば誰でも揺らぐでしょう、という状況だ。実際、自分、まだ一年だから先もあるし、と。しかし黄前は、事情を考えることもなく、迷うことさえなく、あんなに「いい先輩」である中世古を冷酷にバッサリ切り捨てて、揺らいでしまった高坂の背中を押すキラー光線を発する。黄前には、もう高坂以外の人に配慮や気遣いをする気はないらしい。
ここで、高坂の背中を押す黄前の行動は、前回の、中世古の背中を押した吉川の行為の反復といえる。つまり黄前はどこか吉川に似たところがある(二人の類似性は、オーディションの後の拍手の場面で演出としてもはっきり示されている)。たが黄前は吉川よりずっと狡猾で計算高く、自分が悪者になるような行動の仕方はしない。表面上は中立的な態度をとり、オーディションの演奏を聴き、高坂の勝利を皆が納得せざるを得ないと確信したところではじめて、自分が「高坂の側」であることを拍手で周囲に示す(さらにこの行為は「自分は高坂派だと周囲に示した」ということを高坂に示している)。ああ、食えない人だな、この人と思う。
(この作品で面白いのは、このような黄前のブラックな側面を、しばしば「口から漏れてしまう」という形で小出しに表現しているところだ。この、小出しにされた主人公の性格の微妙さは、この作品に独自の味わいを加えていると思う。)
とはいえ、事情と配慮とでがんじがらめになった「空気」を破ることができるのは、このような「食えない人」なのだ(そして、おそらく田中は、黄前が食えない奴だということを見抜いている)。気遣いや配慮こそが世界を窮屈にする場合も多い。
だけど、もっとも立派なのはやはり滝先生だろう。滝は、結果がこうなることをもちろん予測していたわけだが、自分の耳ではっきりと違いを聴くこと以外に、中世古が悔いを残すことなく結果に納得をすることはできないだろうという「配慮」によって、再オーディションを設定した。この配慮は、窮屈さを開く配慮だ。はじめから(がんじがらめの空気に縛られた)部員による多数決などは期待してなくて、中世古自身の納得の問題だと見抜いていた。一見残酷だが、(冷酷に切り捨てる黄前とは違って)このやり方がもっとも中世古に対して「優しい」やり方であろう。
そしてこの再オーディションは、吉川の行動がなければ実現しなかったわけで、つまり中世古は、吉川のおかげで遺恨なく部活をつづけることができるようになったとさえいえる。後輩は、ちゃんと先輩にお返しをしたのだ。
●この作品は、様々なキャラの、それぞれの人柄や事情、葛藤や対立を丁寧に描出していくのだが、最後の最後には、それが黄前と高坂という、作品冒頭に置かれた関係に収斂して行って、クライマックスを迎えるということになるのだろうか(あるいは滝を含めた三角関係か)。でも、この作品のいいところは、この二人の関係を際だたせるために、他の人たちがいるという風にはなっていないところだと思う。