国立新美術館に「アーティストファイル」を観に行った。二度目なので、一度目の時にじっくり見た作品はスルーしたのだけど、それでも閉館時間までには充分に観切れなかった。
一度目の時は時間もなかったしスルーしてしまったのだが、冨井大裕の映像作品(「moving(150407-150619)」)が無茶苦茶面白かった。これはすごい。小林耕平の作品をはじめて観たときに、「ビデオカメラは小林耕平のために発明されたのではないか」という感じを持ったのだけど、この作品もそれに近い。メディウム潜在的な本質を最短距離でグッと掴んで露わにしてしまっているような作品だと思った。
(それにして、ハイウェイの場面――「Star Guitar」のPVとは違って風景を真横から捉えている点が重要だと思う――とか、どうやって撮影してどんな加工をしているのだろうか。それとも、「ただ撮っただけ」であんなにすごいことができるのだろうか。)
とはいえ、キャプションには84分37秒と書いてあって、そのすべては観られなかったのだが(観ているうちに平衡感覚がおかしくなって、まっすぐ立っていられなくなって、ふらふらしてきてしまうし)。この作品のところで止まってしまったまま閉館時間になったので、それより後の作品は前を素通りしただけになった。
ただ、「moving(150407-150619)」のキャプションには「52本」とも書かれているので、おそらく84分のつづけて観られるべき一つの作品ではなく、52のピースを合わせて84分ということなのだろう(タイトルにある数字は撮影された期間だろうか、わずか二カ月とちょっとの間に、これだけ充実した52のピースが撮影されたのか)。52のモニターに分けて、一つのモニターでは一つのピースがリピートされているという状態にしたら、それだけですごい展示になるのではないかと思った。
(おそらく、それをあえて一つのモニターで展示したのは、「美術館に展示される映像」としての一つの態度なのだろう。その作品の前を通りかかった時に、どのピースが流れているかは、偶然が決定する、それを「全部」観ることは、美術館という場においては、まったく不可能ではないが、事実上ほぼ無理、というような。近くに展示されている「今日の彫刻」――時間的ではない作品のキャプションにわざわざ「20分23秒」という時間の表記がある――と同様、作品としての「全体像」の無い――というか、掴めない――作品ということだろうとは思う。でも、そうは言っても無茶苦茶面白いので全部観たいと思ってしまうのだが。)
具体的な時間は分からないが、かなり長い時間「moving」の前に立っていたのだけど、その間何度も、ミニカーの作品の、ミニカーが木のフレームに当たる「コツン」という音(天井の高い空間にけっこうよく響く)が、獅子脅しみたいにして背後から聞こえてきていたのも、また、味わい深かった。音のするたびに、映像から空間に戻されるような感じもある。