●お知らせ。本日、10月9日づけの東京新聞、夕刊に、東京都美術館でやっているモネ展についての美術評が掲載されていたはずです。まだ確認できていませんが。
●10月にはいってからずっと忙しくて、秋アニメを観ている時間がなかなか取れない。今日はようやく、これといった用事のない一日だったが、図書館に行った以外はへたばって寝ていた。
●「百年」の店内に掲示するために、作品解説の文章を少し書き直しました。ここにも掲載しておきます。

「人体/動き/キャラクター」古谷利裕


今回展示されている作品のモチーフは人体(の動き)です。
まず、人体の動きを、最小限の線の関係のみによって抽象的に捉えようとするシンプルな「動きのスケッチ」をたくさん描きました。それは、白い紙に、筆を使って黒い絵の具一色で描かれました。
(元になったスケッチは展示されていません。)


スケッチのなかから、「キャラが立っている」と思われるものをいくつか選びました。「キャラが立っている」とは、短くて印象的なメロディとか、意味はよく分からなくても気になるフレーズというようなもので、明快な性質とまとまりをもち、しかし一定以上の複雑さ(あるいは謎)も兼ね備えているという感じでしょうか。


その「キャラクター」を基本単位にして、それらの組み合わせとして作品をつくろうと考えました。つまり、全体を構築するためにそれぞれの部分にぴたっとハマる細部をつくるのではなく、特徴をもつ自律的な「キャラ」が先にあり、それを元にエピソードや物語をつくってゆく感じです。
具体的には、スケッチをコピーし、厚紙に重ねて線の部分を切り取ってキャラの「型」をつくりました。手と筆により紙の上に描かれたストロークが、カッターで切り取られた厚紙の「穴」へと変換されます。型によって、キャラクター(ストロークストローク同士の関係)は、別のフレーム(キャンバスや板や水彩紙)へと転送されてゆきます。


型は、元はフリーハンドで描いたスケッチですが、制作する時は型を単位とし、フリーハンドを自分に禁じました。展示されている作品のあらゆる線は、型を用いたものです。


「キャラ」を組み合わせて作品とする時、二つの異なる方向を考えました。一つは、個々の「キャラ」の自律性を生かし、キャラの組み合わせとして作品をつくること。もう一つは、「キャラ」同士を組み合わせ、あらたに作品として「別の一つのキャラ」を生み出そうとすること。二種類の作品が展示されていますが、その違いは観ればわかると思います。


最初にあったスケッチは、人体を、他人のものとして外側から捉えることと、自分のものとして内側から捉える感じとを、意図的に混同して、外的であると同時に内的でもある「動きの感覚」を捕えようとしたものでした。「動き」というのは体そのものではないので、「あくび」が移るように伝播し得る。体そのものではなく、その「動き」を見るということ、そして「動き」は、別人の体へも伝播してゆくということ。キャラクターというコンセプトは、そこに繋がっていると考えます。