●『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第8話。少しだけ話の方向性がみえてきた感じ。戦災孤児ストリートギャング→マフィア、みたいな流れの話なのか。
誰からも保護されない、厳しい環境に生きる孤児たちが、集団をつくることでクソのような大人たちの支配から逃れて自立しようとする。しかしその時、何の後ろ盾もない子供たちの集団は、大人たちの社会で対等に渡り合うために、マフィアを後ろ盾にしようとする。だが、普通に考えればそれは最もヤバい「取り込まれる」パターンだと言える。そっちに行くのは最悪だ、と思いつつ、では、それ以外にどのような選択肢があるというのか、ということでもある。
今まで彼らを支配していたのはまったくダメな大人たちだったから、彼らは割合と上手く(といっても大きな犠牲を払っているのだが)支配を脱し、自らの力を頼りにやってこられたのだが、彼らがこれから巻き込まれようとしているのは、もっともっと強大で、賢く、たちが悪く、容赦のない、大人たちの関係性の渦ということになるのだろう。子供たちは、一見、自分たちの道を切り開きつつあるようにみえるが、実は、最悪の方向に進んでいるのかもしれないという嫌な予感が、今回の8話で生まれた。
(オルガの「俺たちはバラバラになってはいけないんだ」というようなセリフは、「バラバラになるフラグ」としか思えない。)
(彼らはまずギャラルホルンという軍――あるいは警察と言うべきなのか――との関係に巻込まれ、次にテイワズというマフィアとの関係に巻込まれ、そして地球ではおそらく「政治家」たちとの関係が待っているのだと思われる。だとすれば、戦災孤児ストリートギャング→マフィア→政治家という戦後史の闇的な――あるいは血塗られた陰惨な――出世物語になるのかもしれない。)
観客である我々がここまで観てきたのは、虐げられ、悲惨な状況にいる子供たちが、それでも何とか自分たちの力で立ち上がろうとする姿であり、彼らの賢さと逞しさであり、なんとかギリギリ順調にやっていけているという様子だ。苦労しながらも、常にギリギリのところで、上手い方に転がっているというのが、この物語を観る快楽の中心にあったように思う。厳しい状況を描き、その状況のなかでも最も虐げられた人物たちを描きながらも、彼らが、自分自身の属するべきコミュニティ(共同性)を自力で創造的に立ち上げようとし、居場所を得ることで個々がそれぞれに力を発揮し、コミュニティを維持し育てていこうとしている、そのような希望を感じさせる方向性をもっていることが、たとえば「進撃の巨人」のような、ひたすらに厳しい状況ばかりが描かれつづける物語とは異なっているところだった。
しかし、「ギリギリ順調に行っている」ように見えていた今までの展開こそが、よりヤバい、より過酷で悲惨な状況に絡め取られてゆくプロセスの一部であり、「起承転結」の、ほんの起か承の部分でしかなかったということかもしれない。
この、絡め取られ、取り込まれてゆくプロセスというのは、観客であるぼくにとっても同様に働く。苦労しながらもなんとか上手くやっている人物たちに、その苦労と成功のプロセスに(物語の快楽を伴いつつ)立ち会うことで、既に、感情的に絡め取られ、巻き込まれてしまっている以上、今後、かなり凄惨な展開になったとしても、この物語から離脱することが難しくなってしまっている。
まあ、王道パターンと言えば言えるけど、巧みな物語が、観客の感情を巻き込んで行くやり方の、とても上質な実例を見せられているような感じだ。
(前回、省略されていた突入の顛末が、今回の冒頭に置かれているという構成が上手いと思った。前回の流れだと、突入場面が省略されるのは、戦闘場面が優先される回の展開のテンポとしても、どんでん返し的な意外さの創出としても、正解だと思うけど、ただ、とはいえ突入がそんなに簡単に成功するものなのかという疑問もなくはない。そこのところを今回の冒頭で語り直すことで、前回の説得力を補強しながら、今回の物語の導入に上手くつなげている。長くつづく連続物ならではの構成だなあと思った。)