●スイスでベーシックインカムがリジェクトされたというニュースをみて、かなりがっかりしている。下にリンクした記事の「バラマキ政策に「ノー」」という見出しからして悪意を感じるし、出口調査によれば有権者の78%もが反対したということにもショックを受けている。
(いきなり月額27万円という額が大きすぎたのかもしれないが。)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016060500338&g=int
ベーシックインカムは、記事に書かれるような「マルクス主義者の幻想」などではなく、資本主義の新しい段階だと思うのだけど……。
例えば、「酸素」には希少性がないが故に生存に必須であるにもかかわらず市場価値がない。現在の地球では、少なくとも人が生存するためという範囲ならば「酸素」は充分にある。量的にも、そしてその遍在性においても。だから、酸素はすべての人に等しく制限されることなく与えられている。しかし、希少性があるものに関しては所有権が主張され、それに見合う貨幣と交換しなければ得ることができない。
だから仮に、人間の生存に最低限必要なもの、衣食住+医療のコストが大幅に下がり、酸素と同様その希少性が問題にならないほどこの世界にあり余りあふれているようになれば、すべての人が平等にそれを(ほぼ)無償で得ることができるはずだろう。そしてそれが可能になるためには、資本主義による技術進歩と生産性の拡大が必須であろう。
ベーシックインカムは、国家による収税と再分配の機構を用いて、そのような「生存に関する物の希少性がない世界」に準ずる世界をつくろうとする試みであると思う。資本主義には、それが可能にする(1)技術進歩と生産性の拡大があり、しかし同時に、それによる(2)格差の拡大(富の集中)と貧困化の問題がある。ベーシックインカムは、前者を根拠として、後者を緩和する政策であろう。
例えば食料において、希少性は成立しているのだろうか。多少でも問題があれば大量に廃棄される食物には、既にほんの僅かしか希少性がないように思われる。しかし、食料は酸素とは異なり、自然に拡散しないので、交換の媒介として貨幣が必要になる。「量」が充分にあったとしても、それが遍く行き渡らなくては、地域による格差が生じ、場所によっては希少なものとなってしまう。だから、希少性は少なくても自然に拡散しないものを拡散(流通)させるために貨幣を媒介とした交換(経済行為)が必要であり、故に、希少性のない物も流通可能な程度の価格(市場価値)をもつ必要があり、人々はある程度の貨幣を予めもつ必要がある。
ベーシックインカムは、生存に最低限必要である物の希少性が限りなく減少へと向かってゆくと仮定される世界のなかで、それでも最低限に必要となるであろうコストの部分が、貨幣として前もって平等に国から支給されるものと考えられるのではないか。つまり、希少性のない(少ない)物をも経済の仕組みのなかで流通させるためにあらかじめ上げ底にしている分を、国民に貨幣として配る。それは資本主義の新しい段階と言えるのではないか。
(生存に必要な物の希少性が限りなくゼロに近づいたとしても、それでも人は別の希少性を求めて激しい競争をつづけるであろうし、格差も拡大もつづくだろうが、それはまた別の話だ。)
●例えば「人材」の希少性というものがある。優れた人は常に少数しかいないということだ。故に、少数の優れた人のところに仕事も富も人気も集中する。しかし、人工知能が、あらゆる側面で、もっともすぐれた人間より優れている段階になれば、人材の市場における希少性は消える。人工知能の絶対的優位が、人間たちの間での能力差を無意味化する。失業率100%という平等。技術進歩は、そのようにして様々な希少性を無意味化してゆくのではないか。