●『EMOTION 伝説の午後・いつか見たドラキュラ』(大林宣彦)をYouTubeで観た。これはよかった。
https://www.youtube.com/watch?v=Y5XlIGmwx14&t=1791s
この時点で大林宣彦の世界は既に完成しているようにみえる。この作品は1966年につくられたのか。ここから『HOUSE ハウス』(77年)まで、まだ十年以上もあるのか。
ぼくはずっと勘違いしていた。この「EMOTION」に影響を受けて、今関あきよしが『ORANGING'79』(79年)をつくったり手塚眞が『FANTASTIC★PARTY』(78年)をつくったりしたのかと思っていた(つまり、自主映画の世界で八十年代的な感覚を準備した作品なのかと思っていた)、だから七十年代中頃くらいの作品というイメージだったのだけど、今関や手塚の作品よりも十数年もはやいのか。というか、寺山修司の『トマトケチャップ皇帝』(71年)よりも、メカスの『リトアニアへの旅の追憶』(71〜72年)よりもはやいのか。すごいな。
商業映画の作家としての大林宣彦の作品(特に初期)は、ある意味で八十年代以降のポストモダン的消費社会の感性とうまく重なる感じがあって、だからこそ七十年代の終わりに「HOUSE」で商業映画の監督としてデビューするとすぐに売れっ子になったのだと思うけど、それとほぼ同じ感覚のものが、既に66年の時点であるというのは驚くべきことだと思う。64年の東京オリンピックから二年しかたっていない。七十年代の寺山修司の映画より、66年の「EMOTION」の方がずっと新しい感じがする。
改めて大林宣彦のすごさを認識した。インタビューで、下のように豪語しているのも納得できる。66年にこの映画を観せられたら、それはみんなびっくりすると思う。ほんとにパイオニアなんだな、と。
《これが上映してみたら、若い人たちが上映に押し寄せた。全国の大学の5分の3が上映したという記録もあるそうです。当時、寺山修司さんたちの若いグループが映画を撮りはじめる直前で、この『いつか見たドラキュラ』を見て刺激を受け、実験映像を撮りはじめたという話です。篠田正浩さんにも、『いつか見たドラキュラ』の真似をしようとしたけど、企業のなかではできなかったと言われました。ただ大島渚だけが「あれは『少女フレンド』(少女マンガ雑誌)である」と言って怒ったそうです。小さな個人映画が商業映画にも影響を与えられるということを、証明してみせたと言えるかもしれません。》
http://webneo.org/archives/5320
大島渚だけが怒ったと言っているけど、大島渚の六十年代後半の諸作品こそが、「六十年代後半の前衛的な傾向をもった芸術作品」というイメージにぴったりと重なるもので、それらと比べると一層、「EMOTION」がいかに異質か分かる。
(大島渚の六十年代後半の作品もぼくは好きです。『日本春歌考』とか『無理心中日本の夏』とか『帰って来たヨッパライ』とか。)
●この映画の、女性の、というか、少女の捉え方が、現在の、日本のアイドルPVやアニメにかなり近い感じがするのも、現在との地続き感を強めているのかもしれない。