●『VILLAGE ON THE VILLAGE』の監督、黒川幸則さんが学生時代につくった『ラララの恋人』という8ミリ映画を観たのだけど、これがびっくりするくらい素晴らしかった。何と形容したらいいのか。シリアスじゃない(ネガティブじゃない)『恐怖分子』というのか、あるいは、ジャック・タチみたいだと言うべきか。
『恐怖分子』(エドワード・ヤン)で、お互いに関係のない人たちの間をパトカーのサイレンの音が貫いてゆくように、『ラララの恋人』では、歌いながら自転車の二人乗りをし、キスをするカップルが、複数の時間と場所、人物たちの間を(というか、フィックスのカットたちの間を)貫いて移動してゆく。ただそれだけの映画だと言ってもいいと思う。
『恐怖分子』では、パトカーのサイレンに貫かれた本来何の関係もない人たちは、関係ならざる関係をもつというか、偶発的な連鎖によって相互作用することになる。しかし『ラララの恋人』では、二人乗りのカップルは、複数の時間と場所を、離散的なフィックスのカットの間を、ただ通り抜けてゆくだけで、そこにいる人物たちを関係づけたりはしない。別の系列にある人物たちは、すれ違うことはあっても、相互作用することはない。
別の系列にある人物同士が作用し合うことはなくても、二人乗りのカップルは、通り抜けるその場に何かしらの作用を残してゆくようだ。場を活気づけるというか、淫らな空気にするというか、そのような作用によって、場に小さな波乱を生じさせて去って行く。
映画の終盤、その波乱の一つに巻込まれた女性が、大木の上で「南の島のハメハメハ大王」を歌うことで雨を呼び寄せる(♪風が吹いたら遅刻して/雨がふったらお休みで…)。そして、雨が降っている間は、二人乗りのカップルの存在は消えてしまうようだ(雨がふったらお休み?)。しかしその雨も、火を起こすカップルが映画に登場することで、すぐに上がってしまうだろう。そして再び、二人乗りのカップルがカットとカットの間を貫いて動いてゆくことになる。
それだけと言えばそれだけの映画なのだけど、ただそれだけのことがこんなに面白いとは、と。
●すばらしい天気。でも暑かった。