●お知らせ。勁草書房のウェブサイト「けいそうビブリオフィル」で連載している「虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察」の第七回、「仮想現実とフィクション 『ソードアート・オンライン』『電脳コイル』『ロボティクス・ノーツ』(2)」が公開されています。前回からのつづきで、今回は主に『ロボティクス・ノーツ』について書いています。
http://keisobiblio.com/author/furuyatoshihiro/
ここでは、虚構没入型(『ソードアート・オンライン』のヘッドマウントディスプレイ)、虚実一体型(『電脳コイル』の電脳メガネ)、多重フレーム型(『ロボティクス・ノーツ』のポケコン)という、VRのデバイスの形式の違いが、物語のあり様とどのように絡み合っているのかについてみています。
技術的に考えれば、虚構没入型の『ソードアート・オンライン』のような形が究極のVRの形で、『ロボティクス・ノーツ』のVR(AR)のデバイスとしてのポケコンは、現在既に可能な技術からそんなに遠くないし(いや、むしろ後退している?)、やっていることもポケモンGOとそんなに変わらないという程度のものと言えるでしょう。しかし、フィクションについて、あるいは、フィクションと現実との関係について考える時には、多重フレーム型のポケコンこそが最も興味深い形だと考えます。
(『ロボティクス・ノーツ』に出てくるポケコンというデバイスは、大型のスマホ、あるいは小型のタブレットPCのようなものです。スマホと違うのは、フォーマットが横長で固定されているところでしょうか。その点も含め、デザイン的にちょっと古い感じはします。)
以下、本文から一部を引用します。
《『ソードアート・オンライン』の世界にあるHMDは、完全に別世界である虚構世界への没入を可能にし、『電脳コイル』の電脳メガネは、現実と虚構とが同一平面として混じり合う世界を出現させますが、どちらも、デバイスを用いることで、身体がある一つの世界へと入って行くことになります。勿論、その世界は決して単層的な世界ではありません。『ソードアート・オンライン』の「ALO」というゲームには、古層としての「SAO」というゲームが埋め込まれていました。『電脳コイル』では、現実と仮想、新しい仮想と古い仮想、古い開かれた仮想と古い閉じられた仮想というように、世界はいくつもの層の重なりでした。HMDや電脳メガネは、それらのすべての層を貫いて、「一つの多層的世界」を出現させるためのデバイスと言えます。
しかしポケコンは違います。ポケコンという「一つのデバイス」が、世界を複数の層や、複数の目的・機能へと分岐させてゆくのです。世界のさまざまな層や目的が、ポケコンの上で重なりながら、それぞれ別の方向へと分かれてゆきます。海翔(かいと)もあき穂もポケコンを使いますが、ポケコンでゲームをする海翔と、ポケコンでアニメを観るあき穂とでは、ポケコンを用いる目的、ポケコンから得られる利得、ポケコンの生活への影響、ポケコンに対して行われる働きかけなどが、それぞれ異なるのです。》
ポケコンはたんなる「画面」であり、身体はそのなかには入っていけません。しかしだからこそ、現実世界で使えるツール(メールやSNSができる)であり、虚構世界へアクセスする窓(オンラインゲームをしたり、アニメやテレビを観たりできる)であり、そして、現実と虚構とを重ね合わせる媒介装置でもある(ジオタグや3DマッチムーブなどARの機能がある)のです。一つのデバイスの上に、世界の複数の層(現実/虚構/現実+虚構)が交錯することで、それに関わる身体にとっての世界を多平面的に分岐させてゆきます。それは、『ソードアート・オンライン』や『電脳コイル』のように、層を重ねることで世界の深さをつくるのではなく、世界を、いくつもの並行世界へと分岐させつつ、複数の並行世界がその都度クロスする場面としての「この世界」を、複数の並行身体がその都度クロスする場としての「この身体」を出現させるでしょう。
●夏は、もうすぐ終わってしまうのだなあ。