●VHSでリヴェットの『パリでかくれんぼ』(95年)。三日連続で深夜にVHSで観るリヴェット。楽しかった。ちょうど、七十年代、八十年代、九十年代の作品を順番に観たことになる。呪われた映画作家の代表だったリヴェットが、九十年代になると「かわいい女の子が出てくるオシャレなフランス映画(でもちょっと長いよ)」的な感じで、日本でも普通に公開されるようになる。この映画も、製作された翌年には日本で公開されて、その時には映画館に観に行った。アンナ・カリ―ナが出ていて、それも予想通りというか期待通りの歳のとり方をしていて、おおっ、という感じだったのだけど、それももう二十年前のことなのか。
超ハードコアで、ごく一部の限られた人しかリヴェットについて語ることができない(そもそも日本ではその作品を観ることができない、おそらくフランスでもそう簡単には観られない)という環境が『美しき諍い女』(91年)によって一変する。カンヌのグランプリというのは当時はまだ社会的にもそれくらいにインパクトが大きかった。でも、それだけじゃなく、やはり『彼女たちの舞台』(89年)と『パリでかくれんぼ』とでは(勿論、連続性はあるけど)かなり大きな違いがある。『美しき諍い女』はその転換点となっているように思う。
同じような時期に、同じような転換点がヴェンダースにもあった。『ベルリン・天使の詩』(87年)以前と以後とでは作風が変わったし、この映画はコアな映画好き以外の人にもひろく受け入れられた。しかし、ヴェンダースは九十年代に入って急速に面白くなくなる。物語を積極的に語り始めたとたんに、すごく凡庸な感じになってしまった。でもリヴェットはそうはならなくて、かつての過激さは表面からは退潮し、ずいぶんとマイルドになり軽やかになって「受け入れられやすい作風」になったとはいえ、リヴェットはリヴェットだと言える映画をつくりつづけたとも言える。
『パリでかくれんぼ』では、なんちゃってミュージカルのようなことをやっていて、こんなのゴダールが六十年代に散々やってることじゃん、とも言えるのだけど、ゴダールは「映画が映画を模倣する」みたいなところから出発しているけど、リヴェットはそうじゃくて、演じること、遊戯すること、試みること、反復することといった主題を延々と展開していて、それがここまできてようやくミュージカルという社会的に認知された「形式」と結びついたということだと思う。ゴダールははじめからポップで、「形」から入るようなところもある気がするけど、リヴェットのポップではない実践が、九十年代入ってようやくそういうものと折り合いがつけられるようになったということだろうか。リヴェットのポップ化というかオシャレ化は、無理やりやっているのではなく、リヴェット的な試みの展開の先にあらわれたもので、だから九十年代の転換も必然的なものだと言えるのだと思う。
(あとリヴェットは、具体的に誰と---どんな女優と---仕事をするのかによってもけっこう変わるのかもしれない。一緒に仕事をする女優の世代が変わったということも大きいのかもしれない。)