●そこに参加しているプレイヤーでさえ、今何が起こっているのかよく分からずに、ただ「何か新しいことが来てる」という予感に巻込まれ、そのなかで試行錯誤していて、その個々の試行錯誤が奇跡的に連鎖するという状態が起こった時に、そこに何か新たな面白いことが生まれる。そこで何が起こっているのかを知ること、その出来事に意味や位置を与えるのは、そのような祭りが一通り収束した後でいい(というか、そうしか出来ない)。そして、多くのプレイヤーが、ああ、これはこういういとだったのかと勘付いた時には、祭りは収束に向かい、その先にあるのは、ビジネスと権力の話であり、祭りの後には、固いシステムとごく一握りの勝者が残る。
これは革命ではないかもしれないが、かといって、ただ「システムと一握りの勝者が生まれただけ」だとするのも違うと思う。そこで「新しい何か」が生まれた。そして、祭りは確かに楽しかった、と。自然発生するこのような祭りを、仕掛けられた祭りと混同してはならない(仕掛けられた祭りからは新たなものは生まれない)。
このような祭りが起こることはたんなる現実であり、それ自身、ポジティブでもネガティブでもない。つまり、祭りは別に希望ではない(しかし、祭りはある熱狂や楽しさを人に与える)。たとえば、トランプが大統領になったという事実も、このような祭りが起こった結果と言える。しかし、「トランプが大統領になる」というのと同程度に信じ難いことが、何か面白い方向で起こる可能性もある。
●祭りが、祭り状態のまま、収束せずに連鎖がつづき、出来るだけ長く持続するためには、どうしたらいいのだろうか。
(人工知能祭りは収束しつつあるのだろうか。ブロックチェーン祭りは?)
(追記。なんか妙な書き方をしてしまったかもしれない。この文章を書いている時に頭に永瀬さんのTwitterでの発言があったことは確かですが、別のことがもう一つ頭にあって、その二つの刺激から思い浮かんだことを書きました。永瀬さんへの直接的な応答というわけではなく、批判でもありません。ある本を読んだ刺激から、書かれている内容とは別のことを勝手に考える、みたいな感じで書きました。一般的な話として書いたつもりだったのですが、エアリプっぽく読める書き方になってしまったかもしれません。)