●大変だった用事をようやく終えて脱力している。
●小鷹研理さんの研究。「手の位置感覚が「手の影」に引き寄せられることを発見」(PDF)
http://www.nagoya-cu.ac.jp/about/press/press/release/files/20170525/290525.pdf
何をやっているのか一目で分かる映像。
https://www.youtube.com/watch?v=P_kQxTu0-OI
論文
http://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/2041669517706520
荒川修作は、ランディングとか、ランディング・サイトとかよく言っていた。一聞しただけだとよく分からない概念だが、河本英夫が明快に解説している(『哲学、脳を揺さぶる』)。
《ランディングは、環境情報を知覚することが、行為につながってゆくさいに、知覚することが同時に場所を占める行為であることによって、環境情報の知覚と行為との“蝶番”になっているというキータームである。》
《物を見ることが同時に「ここ」という位置を占める行為であることを示す概念である。あまりにも根本的なコンセプトなので、どこがすごいかわからないほどである。》
《(…)人間の場合、動きながら知覚がなされるさいには、その知覚はほとんどが予期である。しかも知覚情報が、空間内の特定の身体運動につながるさいには、この身体の位置の指定を含む空間的配置を伴っているはずである。この場面をつなぐ蝶番のようなものが、ランディングなのである。》
知覚によって何かしらの環境情報を得ることが、「わたし」が、存在するための「ここ」という位置を占めることであり、わたしが「ここ」という位置を指定することが、ある行為が行われる空間的配置を開く。環境情報、予期、ここ、わたし、行為、空間配置、これらのものたちが結びつくことで、ある身体が行為する場が開かれる。このような出来事が起ること(あるパースペクティブが生まれること)がランディングであり、ランディングという出来事によってその都度開かれた場がランディング・サイトだろう。
わたしという固定した視点が先にあるのではなく、これらのものたちが結びつくことでパースペクティブが生まれ、行為する場が生まれる。荒川が、「柳宗悦が、皿の上に、まわりに、《降りていった》」と言う時、皿を「ここ」とするランディングが起った、と言っているのではないか。
《日本人では柳宗悦がいい例で、あの人は、ある皿か何かを見ながら、これはすごい、これとなら死んでもいい、と言った人ですよね。何を見たんだろう。「見た」んじゃなくて、何が、彼から、あの皿の上に、まわりに、「降りていった」んだろう。飛行機はまっさかさまに落ちたら墜落しちゃいますけど、私たちの視覚はそういうふうにも降りてゆくわけですね。》(『幽霊の真理』)
荒川は美術史など信じていないはずだから、美術史上の特異点としてのアーティストになど興味はなくて、ランディングに関する実験装置をつくり、みんなで実験を日常的に繰り返すことを通じて、具体的に身体や生の形を変えてゆくような共同体をつくりたかったのではないかと思う。しかし、荒川にカリスマ性があり過ぎることが、荒川を「アラカワという特異点(アラカワというアーティスト)」に押し留めてしまい、結果としてそれはあまり上手くはいかなかったのではないか。荒川の独自で強烈な文体(強度)は、アジテーションとしては効いても、共同研究には向かなかった、と。
《つまり、私ではないほかの人たちをそこに放り込んで、その使用法を見つけてくれと言っているわけです。ある人が実はこうではないのかと変形して持ってきた時に、その現象を私のようにランディング・サイトという変な言葉で言うのではなく、もっと具体的に証明したり、かたちにしたりするということが《奈義》のあの環境から出てくることを私は希望しているんです。》(『幽霊の真理』)
これはぼくの勝手な思いだけど、小鷹さんの研究や谷口さんの作品などに、荒川がやろうとしてイマイチ上手くいかなかったことの実現があるのではないか。しかも、装置としてとてもシンプルな形で。荒川は晩年、都市計画のようなことを考えていて、話の規模がどんどん大きくなって、それに比例して実現可能性がどんどん小さくなってしまっていた(養老天命反転地を実現したのはすごいけど)。でも、荒川が今生きていたら、VRに興味をもったのではないかと思う。
荒川の文体の強度を共同研究可能なものに翻訳する、みたいなことも意味があるのかも。
(荒川の言う「懐かしさ」は記憶とはあまり関係なくて、その都度新しくつくり出される懐かしさによる共同性、みたいなことを考えていたのではないかと思う。)