●引用、メモ。ブログ『ソウル・ハンターズ』を読む、「人間―動物の変容(第5章)89-94頁」、「動物でもなく、動物でもなくはない(第5章)94−97頁」から。
●まず、「人間―動物の変容(第5章)89-94頁」から。
https://ameblo.jp/soulhunters/entry-12276412943.html
《戦時中のことである。その頃、私たちはよくトナカイを狩猟した。ほとんどエルクがいなかったからである。長い間、約6時間にわたって、百頭かそこらのトナカイの群れを追っていたのだと思う。私はポポヴァ川にいた。その夜、火を熾してお茶を飲んだが、眠ることはできなかった。何も食べ物がなく、空腹で寒かった。夜明けにスキーをつけて、その群れの追跡を続けた。道を調べていた時、私は何ものかに見られているという奇妙な感覚がした。見上げると、約20メートル先に一人の年寄りがいた。古風ななりをして、ほほ笑みかけてきた。誰だと尋ねても、彼は答えなかった。その代わり、私について来るように手招きした。近くに小屋と食べものを持っていると思ったので、私は彼について行った。ほんとうに腹ペコだった。ずっと無言だった。彼の足跡がトナカイのものであることに気がついた。「変だなあ」と私は思った。というのは、その男は、カムス[皮で覆われたスキー]を付けていたからである。でも疲れていて空腹だったので、幻覚を見ているのではないかと思った。私たちは歩いて丘の上に登り、丘の背後には、三十かそれ以上のテントから成る大きなキャンプがあった。私たちはそのキャンプに入っていった。あらゆる世代の人たちがいて、子どもたちは遊び、老人たちは座って煙草を吸い、女たちは料理をしていた。その老人は私をテントにつれて行った。彼は、トナカイが音を立てているようにして妻に話しかけ、彼女も音を立てて返した。私は何を言っているのか理解できなかった。「この人たちは誰なのだろうか?」と思った。その女性は私に食べものをくれたが、肉ではなく苔だった。私はとても空腹だったのでそれを食べたが、そんなに悪くはなかった。時が経って、テントの中のその場所に座っていた時、私は物事を思い出せなくなった。私の帰りを待っている妻のことを考えてみたが、名前が思い出せないことに気がついた。その後、私たちは眠った。トナカイに囲まれている夢を見た。誰かが言った。「ここはお前のいる場所ではない、帰れ」と。誰が話しているのか分からなかった。目が覚めると、立ち去らなければならないと考えた。テントからこっそりと抜け出して、家まで歩いて帰った。村では人びとが私を見て、とても驚いた。彼らは、私が死んだのだと思っていたと言った。「たった一週間いなかっただけだよ、どういうこと?」と言うと、「いいや」「私たちは一ヶ月以上もお前を見なかったのだよ」と、彼らは言った…。私が出会った人びとはトナカイだったように思えるし、私はそれらを殺すべきだったのかもしれないが、そのとき、私にはそのことが分からなかった。たぶん、それはすべて夢だったのかもしれない。でも、その時、そんなに長い間どうして私はいなくなっていたのだろうか?》
《ここから分かるのは、狩猟者がいかに獲物、この場合トナカイを人間として経験したのかということである。ここで語られているのは、トナカイと他の非人間の人格が、いかに自らのことを見ているのかということである。同じように、トナカイは、狩猟者を捕食者あるいは食人霊としてではなく、自分たちと同じような存在として見ている。「ふつうの状況で、〔ユカギールは〕動物を人間、あるいは人間を動物であると見ることはない。なぜなら、それぞれの身体(およびそれらが認めているパースペクティヴ)が異なっているからである」(Viveiros de Castro 1998: 478)。この物語の背後にあるものとは、おそらくは、狩猟者がトナカイやエルクに接近する時、その身体的な見かけ、動きや匂いをまとうことで、動物を騙そうとするという事実である。ところが、上の話では、狩猟者自身がたぶらかされて、彼が獲物のパースペクティヴからから世界を見始めたのである。その結果として、彼は、ほんとうの変身を経験してしまう淵にいたことになる。》
●「動物でもなく、動物でもなくはない(第5章)94−97頁」から。
https://ameblo.jp/soulhunters/entry-12283005991.html
《ユカギール人が動物を表象するためではなく、彼らの周囲の世界を操作しようとするために動物の身体をまとうのだと私たちが気づく時に、こうしたことが分かるようになる。彼らはよく獲物自身のイメージという手段で獲物をだまそうとする――フレイザーの用語では「類感呪術」として知られているものであり、それによって、「呪術師は、それをたんにまねることによって、彼が望む効果を生みだすことができると推論する」。しかし、フレイザーは、なぜそのようなコピーとオリジナルの相互の類似が表象されるものに対して表象の力を認めるのかを説明していない。》
《狩猟者がトナカイを撃つためにトナカイをまねて開けた場所に誘い出す時には、同時に、二つの動機を持った空間で振る舞う。その空間は「捕食者が支配する空間」および「動物を模倣する空間」とでも呼ぶべきものである。最初のものは、動物を殺すという狩猟者の意志に、二つ目のものはその意図を達成するためにそのアイデンティティーをまとう必要性に関わっている。狩猟者は、二重の性質を持って振る舞うことができるかもしれない。彼は同時に狩猟者であり、動物でもある。こうした二つのアイデンティティーの間で行動することは、高度に複雑な仕事である。もし彼が、狩猟者としての彼の意図を彼の行動をつうじて見せるなら、獲物の動物は逃げるか彼を攻撃するだろう。もし、他方で、彼が彼の意図を彼の身体の動き(ヘラジカの動き)と混ぜ合わせるならば、彼は獲物のパースペクティヴへと陥って、獲物になってしまうだろう。それゆえに、狩猟者は、彼のパースペクティヴが狩猟者のそれでも動物のそれでのどちらでもなく、その間あるいは同時に両方でもあるということを確実にするために、獲物の動物だけに意識を向けるだけでなく、彼自身、獲物に気づいている存在であることに意識を向ける必要がある。言い換えれば、狩猟者の成功とは、二重のパースペクティヴをうまくやっていく、もしくは模倣のエージェントとしてふるまう彼の能力に因るのである。》