●テトラレンマについて考えてみた。問題をシンプルにするために、第一レンマを「すべては実在する」、第二レンマを「すべては実在しない」、第三レンマを「すべては実在し、かつ、実在しない」、第四レンマを「すべては実在するのではなく、かつ、すべては実在しないのでもない」と考える。
実在する(肯定)を「1」で、実在しない(否定)を「0」で表すとする。第一レンマと第二レンマが成立する論理的空間では、何かは実在するかしないか(「1」「0」)のどちらかであり、つまり「0または1」という論理空間の上で意味が生じている。しかし、第三レンマになると「0かつ1」、「1かつ0」があり得る空間なので、それは「0-0」「0-1」「1-0」「1-1」という、四種類の存在の様態があり得る空間ではじめて成り立つ(「0-1」「1-0」があり得る)ことになる。第二レンマから第三レンマへとすすむことで、意味を成り立たせる空間(地)の次元数が増えている。
さらに、第四レンマについて考えると、実在するのではなく(10)、かつ、実在しないのでもない(00)ということなので(括弧内の前の0/1は無か有かで、後者の0/1は否定か肯定か)、「10-00」または「00-10」のセットが成り立つ論理空間が必要となる。つまり、存在の様態が16種類(4×4)だけ必要となり、さらに次元数が上がる。
(00-00,00-01,00-11,01-11,01-10,01-00,00-10,01-01,10-00,10-01,11-11,11-10,11-00,10-10,11-01)。
だから、第一、第二レンマでは、真理の意味は二つのありえる状態のなかの一つであり、第三レンマでは、四つのあり得る状態のなかの二つであり、第四レンマは、16のあり得る状態のなかの二つだ、ということになる。つまり、第一、第二レンマの空間では、第三レンマは排中律の破れとして出現し、そしてそれは論理空間の次元数を上げることで回収されるが、第四レンマでまた排中律が破れ、その回収にはさらなる次元の拡張が必要となる。しかし、ここまで拡張されると、我々にはもうそれ(存在の様態)を意味として、イメージとしては思い描くことが出来なくなる。
(とはいえ、形式的な操作だけなら、いくらでも拡張は可能だろう。)