●以下は、4月7日の東京新聞の夕刊に掲載された、三菱一号館美術館「オルセーのナビ派」展の美術評のテキストです。

一八八八年、ゴーガンの元を訪れたポール・セリュジエが、ゴーガンの指導によって描き上げた一枚の小さな板絵が彼の仲間たちに与えたインパクトが、後にナビ派と呼ばれる運動を生んだ。ゴーガンというより、後のマティスによるフォービズムを思わせる、明快で強烈で非自然主義的な色彩で描かれた風景画は、「タリスマン(護符)」と呼ばれて、仲間の手から手へと渡り、感覚的な自然主義(印象派)から脱し、象徴主義的な芸術を目指す若い芸術家たちに、インスピレーションと勇気を与えた。
二十世紀の絵画を先取りしたようなセリュジエの「タリスマン」。そして、絵画とは一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面のことだ、という、後のモダニズムの理念を先取りしたようなドニの思想。神秘主義的な傾向を共有し、美術のみならず複製芸術や演劇に強い関心をもつ。ナビ派は、そのような先鋭的な芸術家の集団だった。
しかし同時に、彼らの作品の多くは声高に主張を叫ぶ類のものではなく、穏やかで柔らかな表情をもつ。題材の多くは日常生活から採られ、それも、遊戯的でくつろいだ場面が多い。メッセージ性より造形的操作を通じた象徴的表現が重視される。親しく寛いだ雰囲気のなかでこそ、色や形がその表現性を発揮する。
ヴュイヤールは、生活に通じる親しさを手放さないままで、様々な先鋭的な形式の表現を試みていて、その作品からは極めて豊かな才気が感じられる。ヴァロットンは、ありふれた日常の場面によぎる、得体のしれない緊張や不安を巧みに拾い上げる。画面を観る我々は、なぜそこから緊張や不安を感じるのか分からないままそれを感じ、画面に惹きつけられる。
圧巻はボナールだ。装飾的な平面性と三次元的な空間性が拮抗する理知的な画面構成と、短い筆触の積み重ねによる(脳がとろける、とでも表現したくなる)触覚的で振動する魅惑的な色彩の両立。油絵具の粘度がそのまま物の特性と絡み合っているような、いわゆる細密描写とはまったく異なる描写の見事さ。
「黄昏(クロッケーの試合)」の画面構成、「格子柄のブラウス」のグラスの描写、「猫と女性」の場を包み込む赤。「タリスマン」によってもたらされた衝撃の深化した姿がここにある。