●今週は、けいそうビブリオフィルの連載の最終章の第一回目を書いていたのだけど、相対性理論についていろいろ調べているうちに、ドツボにハマって身動きとれなくなってしまった。なんとか書けたけど。
●DMMの配信で『草叢』(堀禎一)を観た。正直、前に観たときはあまりぴんとこなかったのだけど、今回、あまりにすばらしいので驚いた。堀さんのピンクの作品のなかでは一番好きかもしれない。子供のできない女性と、生まれるより前に死んでしまう子供、そして、背景で何度も立ち上がる外で遊ぶ子供たちの声(しかし、この子供たちの声がどこから来るのかは定かではない)。あらかじめ弔われる子供たちと、あらかじめ弔う事さえ禁止された女性。典型的な情痴物語であると同時に(これはやはり関西弁じゃないと、と)、現世を生きるものの業であるような情痴的行為が、その背後で常に鳴っている(あらかじめ弔われた?、冥界からの?)子供たちの声との関係のなかで立ち上がる。
速水今日子と吉岡睦雄の二度目の性交シーンで、二人がくんずほぐれつしながら玄関先から次第に部屋の奥に進んで、一番奥の窓の見える場所まで行って、速水今日子が吉岡睦雄のズボンと下着をおろし、男性器を見るなり速見が笑いだし、吉岡の顔を見上げて「すごい」と言うのだけど、その瞬間に、外で遊ぶ子供たちの声がうわっと被せられれる。この場面には鳥肌が立った。
『東京のバスガール』の、死んだ妹の浴衣で作った布巾といい、『笑い虫』の夫婦の息子といい、堀さんの映画に出てくる「子供」の存在感には、ちょっと独特の感じがあるなあと思った。