●電車のなかに貼ってあった本の広告を見ながら思ったのだけど、「〜を科学的に証明」と宣伝文句にある本は、ほぼ確実に胡散臭いとみていい。科学は、その手続きからいって「証明」という語になじまない。「数学的に証明」というのは分かるけど、「科学的に証明」という表現は変だ。科学者はこのような表現は避けると思われる。「科学的に検証」なら、おそらくおかしくない。
ある仮説があり、その仮説からある予測が導かれ、その予測は、従来の説とは矛盾し、その仮説が正しい場合にのみ成り立つと考えられる(他の原因は論理的に排除できる)。そして、適切な実験なり観測なり統計なりによって、その予測の妥当性が確かめられた時、その仮説は検証されたと言える。
仮説は、より説明能力の高い、より精度の高い、別の仮説に取って代わられることがある(ニュートン力学から量子力学へ、など)。しかし証明は、前提(公理)が変わらない限り覆らない。逆に言えば、特定の前提(公理)のなかでしか意味を持たない。
科学の「前提」は「この世界(この宇宙)」そのものであり、そうである限り前提を事前に定義できない(定義し切れない)。前提は常に仮のものとして置かれ、新たな観測事実や実験結果によって前提が変化し得ることが「前提」としてある。だから科学は証明しない。