●「柳田国男論」で吉本隆明は、柳田の「旅人」としての視線を、風景の変化を(時間的に)鳥瞰し記録する機能をもつものとして書いている。
《ひとつの村里や町の内部に住み着いていても、人事の気配と一緒に変化してゆく景観は、いったん変わってしまうと、すぐに元の景観がどうだったかを想い起こすのは難しい。(…)永く見慣れていたにもかかわらず、変貌すると一緒に忘れはてて想い起すことが難しい。これは景観がそれ自体自然として変貌するだけでなく、人事とのかかわりあいで変貌するという二重性をもっているからだとおもえる。》
《この風景の変貌を記録しておくには、映写装置や絵画や地図を、いわば毎年、月毎、日毎、晨夕に働かせるほかにすべがない。柳田は旅人の記録が、映像記録装置のない時代に、風景の変貌に拮抗できる唯一のものだとかんがえた。村里の内部に定住するものの眼には、微分的に変化していく風景をとらえることはできない。》
《時代は景観の変容を加速してゆく。新しい時代というのは加速されて変貌する景観のことだといえる。》
《それは風景(とそのなかの人の生活)を対象にして認識を深めてゆく技術をもった認識者のことである。村里の人間関係をよく観察し、認識し、村民たちに指針を与えられるものは、里長になったり、僧侶になったりして、村里にとどまり、村里を治めてゆくかもしれない。だが風景の変化にたいし、風景と風景の比較にたいして認識を深め、洞察をもつのは、「旅人」であるよりほかない。これが柳田の「旅人」の意味である。》
村里の内部の事情を熟知しながら、その変貌に手を貸すものではなく、その変化を鳥瞰するのが柳田的「旅人」である、と。だからこそ、風景の微分的な変化を認識し、記録することができる。でも、この時間的鳥瞰図のなかには、それを視ている者の存在は含まれていないように思われる。しかし、日本じゅうを歩きまわる「旅人」である柳田にとって、もう一つ「空間的鳥瞰図」というものが認識されていて、そこには、それを視ている自分自身も含まれている。
《(…)柳田がこの視線を行使するようになった契機は、景観の文明開化が刻々と進行するにつれて、山里の景観の不易さと、平地の景観のすさましく加速された都市化への変貌のあいだに、ギャップが著しくなったと感じられたときであった。そのとき柳田に景観を上方から(山の方から)俯瞰したり鳥瞰したりする「眼」が、あからさまに現われたといっていい。》
《自然はどこからきたのか。自然のつきない源泉はどこにあるのか。柳田の認識によればそれは「山」であり、平地が変貌してゆくたびに、たま新たに自然を供給するものだった。「旅人」は「山」を見つづけているものでなくてはならない。柳田の「旅人」は平地や海岸を歩いているときでも、同時に「山」から俯瞰する視線を行使するものだった。平地の村里を通過してゆく「旅人」にとっては、この「山」から俯瞰する視線は、その視線のなかに通過しつつあるじぶんの姿をも包括するものとなる。それはまた柳田のいう「旅人」の条件に繰り込まれる。》
《「旅人」は村里を通過するじぶんの姿を、自分の視線のなかに包含していなくてはならない。》
村里の急激な景観の変化をその外側から時間的に俯瞰する「旅人」は、それと同時に、村里の変化とそれを俯瞰している自分の姿そのものを、「山」からの視線として俯瞰して捉えていなければならない。
このような、「旅人」として日本中の景観のなかを通り過ぎていきながら、同時に、「景観のなかを通り過ぎてゆくじぶん」を視ているというあり方は、柳田自身の《醒めながら入眠状態に誘われて、ひとりでに存在しない「神戸の叔母」を求めて村の道を夢遊のうちに歩いていたり、昼間の満点の星に心をしんと沈めて陥ちていったり、山の森の奥でおなじところをぐるぐる回っていたりする幼児の資質》と深く結びあっている。しかし同時に、「山」というものがもつ、「山の負荷」というべきものに負っている。
《柳田が景観を枯れさせない源泉と感じたものには「山」の負荷とでもいうべきものがあった。「山」は源泉であるとともに負荷であり、圧迫するものだ。山人の負荷といってもいいし、山神の負荷といってもおなじだ。べつのいい方をすれば、鳥瞰または俯瞰する視線の負荷というべきものだった。平地の視線からすれば柳田の思いがけない視線は、どうもこの負荷に由来しているとおもえる。》
《「我々が明日の米を支度する如く、三十年後の隣村の火事を発見して半鐘を打ち、且つ見舞いに行くべく、今からこの杉の木を栽えるのである。」この柳田の想像力の働き方と、未然完了体とでもいうべき文体の時制は、アジア的な平野の濃厚の視線そのものからはえられない。「山」「丘陵」「台地」から、平野を俯瞰する視線がくわわらなければ、不可能な複合的なものであった。》
●つまりここで、一つ目の、自分自身を含まない俯瞰の視点、公的な歴史からも、行政的・管理的視点からも零れ落ち、かつ、そこで生活している当事者の視点からも零れ落ちてしまう「景観の変化とその記録」を可能にする柳田特有の「旅人の視点」が生まれるのは、二つ目の、旅をしている自分自身をも含む俯瞰の視点(世界視線)があるからこそであり、この二つ目の視点は、「山」という地理的な条件と、それがもつ「負荷」によって生じるのだ、と。《迎角として視るべき景観を、俯角として視ようとする》(≒世界視線)という視点の反転的な働きは、一方で、柳田自身の資質によるものであり、しかし同時に「山」による負荷のよって生じるものでもあろう。