●『夜は短し歩けよ乙女』(湯浅政明)をDVDで観た。パクチーが苦手な人がパクチーを食べられない、というのと似たような意味で、ぼくは湯浅政明の作品が苦手だ(パクチーは苦手じゃないけど)。キャラの造形や動かし方から、色彩の感覚、演出上の誇張やデフォルメの仕方、あるいはそもそも作品の傾向など、そのどれもを受け入れ難いと感じて、引いてしまう。
ただ、人が「生理的に受けつけない」という時の生理的感覚は、けっこう相対的で可変的だと思っている。子供の頃は、カリフラワーやタケノコが苦手だったが、今では美味しく食べることができる。そもそも、ぼくはアニメが嫌いだった。「萌え絵」や「声優的発声」を気持ち悪いとさえ感じていた。それが、「ウテナ」に出会って認識が変わり、認識が変わることで、アニメ的な表現の面白さが少しずつ分かってくるようになった。
(「惚れた相手」によって「好みのタイプ」が変わることもよくあることだ。)
だから、何年かに一度くらいは、ひょっとしたら今ならば「湯浅政明的なものの良さ」の一端でも感じられるようになっているのではないか、そのヒントくらいは掴めるのではないかと、試しに『マインド・ゲーム』や『カイバ』などを観てみる(さすがに、新作を積極的に追っかけようとまではあまり思わないのだが)。だけど今のところ、苦手意識はなくなっていない。
(「作品」というものにかんして言えば、たんに退屈や無関心---つまらないと感じる---ではなく、何か積極的に「嫌だ」と感じる時、その原因は、嫌な対象の側にあるというより、むしろ自分の側---のコンプレックスや嫉妬、囚われや臆見など---にあることが少なくないということを、後から感じることはよくある。「人のふり見てわがふり直せ」ではないが、「人のふり」からそれを感じることも多い。それに、人が根強く支持する作品や作家には---全面的に肯定することは出来ない場合や、批判的であらざるを得ないという場合でも---どこかに面白いところ、興味深いところがあるはずだ、とも思っている。)
今回は、レンタル店の店頭に新作が同時に二タイトル並び、『デビルマン』なども話題になっているタイミンクでもあるので、ここでもう一回試してみようと思ってその一本を借りた。
しかし、今回もダメだった。チューニングを合せようと努力してみたが、どうしても面白いと思えなかったし(いろんなところでいちいち「いや、これはないでしょ」と思ってひっかかってしまう)、観ている間じゅう、けっこう辛かった。リアリティを感じる軸のようなものが、ぼくとかなり違うのだろうし、そして、ぼくはその在り処を上手く探り当てられない。
湯浅政明という作家との(あり得るかもしれない)「出会い」は、また改めて次の機会に、ということだ。