●『ソウル・ハンターズ』(レーン・ウィラースレフ読み始めた。とても濃厚で面白い。三分の一くらい読んだ。
マティス「Pink Nude」(1935)のプロセスの解析。画像は『MATISSE A RETROSPECTIVE』(Edited by Jack Flam)より、スキャンしました。




●一枚目(State 1)。ベッド(マット)の上でからだをねじって横たわる人体と、その向こうに花瓶の花とイスを置いて、オーソドックスな三角形の構図を作っている。普通に三次元的にモデルを描写しているが、ゆったりとリラックスした人体の描写がすばらしい。頭の方(の背凭れ)か持ち上がったマットによってからだが軽く傾斜し、肩から後頭部のあたりに重心がかかっていて、その分、下半身が重力から解放された感じで、腰の捻じれやその先の足のさばきに軽やかでかつダイナミックな動きが生じている(ただ、頭部の重心と拮抗する、左ひざの重さのようなものも感じられる)。手先(左手)が曖昧にしか描かれていないが、これも全身のリラックスした感じに貢献している(ポーズとしては決して楽なポーズではないはずだけど)。全体のトーンも穏やかで、顔の表情の描写も魅力的。マティスのデッサン力というか、描写力が発揮されていて、ここで完成としてほしい(勿体ない)と思ってしまう。しかし、マティスとしてはこの程度「描ける」のは当然で、ここからが「はじまり」なのだろう。
(ただ、これで完成とするには右腕の形とか処理がやや気になるかも。)



●二枚目(State 3)。花とイスの置かれた背景の壁や床の傾きが変わらないまま、人物とマットの部分だけ俯瞰的な位置へと、視点が移動している。異なる二つの視点をぶつけている。このことによって、人物とベッド(マット)の部分の空間の前後が圧縮されているような感じになる。奥行の傾斜が立ち上がっていることで、背景が前の方へグッとせり出しているように感じられる。そのため、人物の上半身の画面に対する正面性が、前の段階よりも強くなり、それが後ろ(背景のマット)から押された結果のように感じられる(それにより緊張が生まれ、全身のゆったりした感じがなくなっている)。背景の背凭れの前へのせり出しを強調することによって、右腕の持ちあがりが大きくなって(右腕の緊張が強調されて)いる。この右腕の緊張は、フレームに近づき過ぎている(フレームとの間に余裕がない)ことによっても生じている。この、右腕の傾斜による緊張を支える(受ける)ために、背中の曲線が最初の状態とは逆になっている(僅かな違いだけど、この背中のラインの違いは大きいと思う)。
この状態だと、画面の右下の辺りに力や要素や重力が集中し過ぎていて、反面、左上の辺りのスペースが隙間のようになってしまっている。右下への力の集中を緩和するためなのか、画面右下以外の背景の色が濃くなっている。そのため、人体と背景とのコントラストも強くなっている。
(もっとも大きな変化は、パースペクティブの二重化による、人物とその背景との前へのせり出しと、それによって人物の上半身の正面性が強くなったこと。それによって画面のバランスが大きく崩れた状態と言える。まず、自然な三次元空間と事物の写生からの離脱が意識されていると思われる。)



●三枚目(State 4)。画面が、平面的なフィールドと立体的なフィールドの二つに分けられる。人体とベッド(マット)の領域は、俯瞰的というより平面的なフィールドとなり、背景(花瓶、イス、壁、床)との分離は、パースペクティブの違いというより、平面と立体との違いになる(背景のパースもやや緩やかになる)。ベッド(マット)は、人体の下に敷かれるものから、平面的なフィールドを形作るただの色の広がりへと役割を変化させる。人体も平面化する---特に脚や右腕---が、とはいえ、後頭部から肩、左上腕部の辺りに、重さを支えるようなマットのふくらみが描かれているので、依然として重力は意識され、完全に平面化されているわけではない。身体全体の平面化により無理な腰のひねりがなくなり、右腕の張りも、後景からの押し出しによる無理な緊張が緩和され、人体のゆったりとした感じが戻ってきた。
頭部周辺に重力への意識は残っているものの、人体の重さの支えや緊張が画面右下に集中することはなくなり、人体全体に力がゆるやかに分散しているように見える。これは、尻のラインの変化により、人体が傾斜して重さが右側にかかっている感じがなくなったためでもあろう。
人体が平面化したとはいえ、左腕は、一つ前の状態より、より三次元的に自然にベッド(マット)の面に触れているように描写されている。左腕が自然にマットに触れることによって右腕全体が重さを支える「地面」を示しているように見えることで、重さの分散に一役買っている。さらに、左手の(ほんの)一部がフレームから外に出ているため、無理やりフレーム内に収めたような息苦しい感じが少し緩和されている。
画面右側にある、ベッド(マット)の背もたれの形とそれを反復するような曲げられた右腕のつくる形(凸型・△型)と、画面左側の、左足の膝から脛、足先へのラインとその背景がつくるネガティブな形(凹型・▽型)とが対応関係をつくることで、画面左上のスペースが隙間になってしまっていたことが少し解消されている(それでも、この状態ではまだ左上がやや弱い)。



●四枚目(State 8)。ここで大きな飛躍が三点ある。(1)まず、前の画面ではベッド(マット)という物が、平面的なフィールドとして機能していたのだが、ここでは、平面的なフィールドが完全に抽象化して、「ベッド(マット)」という対象性がほぼなくなっている(背凭れの形が名残りとして残っているが、前の段階を知らなければこれが「背凭れ」であることは分からないだろう)。同時に、(2)平面と対置されて立体を現していた背景の「部屋の角」がなくなり、背景も水平で抽象的な色彩のフィールドとなる。つまり、立体対平面という二項の対立がなくなっている。そして、(3)人体のデッサンが、改めてやり直されているかのように大きく変化している。ここで人体は、最初の段階の自然な三次元的描写とは異なるが、非常にのびやかで、リラックスした形態を取り戻しているように見える。
そしてこの三つの飛躍により、画面の左上が弱いという欠点もなくなっている。
(このデッサンは、輪郭としてというよりも、背景を塗り直すことを通じて、つまり、外側(背景)の形から攻められることによって形作られたように思われる。ネガティブな(背景の)形態が強く意識されている。おそらく、背景を塗り直す---背景の平面化をさらに進める---ことを通じて、フレームとの関係で人体の形を掴む、ということができたのではないかと思われる。画面が平面化すればするほど、フレームの矩形が目立ってくるので。)
右腕と左腕の関係や、両足の形態などは、人物をモデリングするというよりは、フレームとの関係で決定される、装飾的な形態の面白さやリズムを優先しているように見える。一方、顔の表情、胸や鎖骨の描写、そして背中や腹のラインなどは、とても生々しく人体を感じさせる奥行きがある。顔から胴の部分の描写は立体的で触覚的でさえあるが、腕や足は平面的で造形的であると言える。
つまりここまでのプロセスで、三次元→二つの異なる(三次元的)パースペクティブの併置→二次元と三次元の併置→全面的な二次元化、という風に進んできていると言える。しかし、背景がほぼ平面化し、イスの背凭れが何だか分からない装飾模様のようになっているとしても、そこに置かれている花と花瓶は依然として立体的に描かれている。花瓶と花、そして画面の前方にみえるベッド(マット)の段差、さらに前述した人体の顔から胴の描写などが、全面的な平面化を抑制し三次元的な奥行を生じさせている。だから、この四枚目の段階でも、平面と立体とは混じり合っている。しかし、どこまでが平面で、どこからが立体という風に、はっきりと切り分けられないようになっている。
背景がほぼ平面化すると同時に、平面に挟まれた人体が、妙に生々しく立体的に見えてくる。この時点でマティスは、最初の段階にあった自然な三次元的な描写とは異なる次元の(平面的な背景のなかではじめて成立する)生々しく立体的な人体の描写を実現させることに、かなりの程度成功しているように思われる。
(ここで、最初にあった三角形の構図は完全に破棄され、もっと分散的な構造になる。たとえば人体は、右手と左手のポーズがつくる大きな三角形と、左脚と右脚とがつくる、少しズレた二つの三角形という感じで---ほぼ、垂直と水平でできている背景に対し---三つの三角形が力を分散させているように見える。あるいは、右手と左手のつくる形は、フレームの角の形を、少し方向をズラして反復しているとも言える。)
ここでもまだ不満があるとすれば、画面がやや静態的に見えるということだろうか。




●5月3日から28日までの間で、画面はかなり大きく変化しているが、「顔」の部分と、背景にある「花とイス」の部分は、位置がほとんど動いていないし、大きく手を加えられた感じもない(おそらく、ほとんど手を加えていない)のが面白い。マティスは、ここまでの段階では、この二つの部分を支点として、画面全体を動かしているように思われる。