●お知らせ。本日づけの東京新聞の夕刊に、初台のICCでやっているオープンスペース2018「イン・トランジション」から、永田康祐の「Sierra」という作品についての美術評が掲載されたはずです。まだ確認できていませんが。
●体調はほぼ戻ったのだけど、風邪のなごりでまだかなりひどく咳き込む。からだは元気だけど、こんな状態では、狭くてぎっしりして閉ざされたスペースに演劇を観に行くということははばかられるので、断念せざるを得ない。
●ためしに、「U-NEXT」に登録してみた。ネットフリックスやHuluに比べると、観られる映画のアニメの数がずっと多いし、古典も(まあ、他に比べればだけど)けっこうある。にっかつロマンポルノもあるので、神代辰巳曽根中生田中登とかも観られる。とはいえ、他では観られるのに、U-NEXTでは観られないものもけっこうあって、決定的に良いとまでは言えない(料金もほぼ二倍だし)。ネットフリックスとHuluとU-NEXTを、一、二か月ずつくらいで順次渡り歩くというのがいいのかもしれない。めんどくさいけど。
(クレジットカードがないので、アマゾンプライムには入れない。)
●U-NEXTで『お引越し』(相米慎二)を観た(もうすく配信終了)。これを観るのも随分久しぶり。この映画では、それ以前の相米の映画でみられた様々な要素が、とても上手く作品としてまとまるように配置されていて、八十年代の突き抜けた相米に熱狂していたぼくとしては、公開当時には、そんなにうまい事まとめてしまうのかと、熱が醒めてしまうような寂しさを感じながら観た記憶がある。今観ると、普通にいい映画だと思う(とはいえ、「おおっ」という驚きの感じはなかった)。田畑智子が湖の上に自分自身の姿を見つけ、その自分を受け入れる場面には普通に感動できた。
しかし、この映画の(子供時代の)田畑智子を観ていて、何度も「保田圭だ」と思ってしまった。似ている、ということではなくて(まあ、すごく似ているとは思うけど)、田畑智子だと分かっているのに保田圭だと「実感」してしまう。大人になった田畑智子を(たとえば『ふがいない僕は空を見た』とかで)観ても、似ているとは思っても混同したりはしないのに、何度も、今、画面に映っている「この人」は子供時代の保田圭なのだという感じがして、(違うと知っているのに)それを拭えないのだった。