●『ツイン・ピークス: リミテッド・イベント・シリーズ』、十二話まで観た。これは、ずっと終わらないで欲しいというか、どこまでも延々と観つづけていたい感じ。
それぞれのエピソードというか、各パートの間で時間が同期しているとは思えなくて、たとえば、ダギーのパートで流れている時間と、ツインピークスで流れている時間と、リンチ自身が出演しているパートで流れている時間は、それぞれ独立していて、かつ接点がない(あるいは非常に薄い)ので対照できない。さらに、それぞれの登場人物たちの固有、個別のエピソードも、何本か流れている主線的な時間に対してどのような関係にあるのかよく分からない。
出来事の起る順番(それぞれのパートを貫く時計)や、それぞれのパートの因果的な繋がりがなくて、編集によるエピソードの配置だけがかろうじて、各パートの関係(の気配)をつくっている。あるパートが昼間の場面で、次に別のパートがきてそれが夜の場面で、再び元のパートに戻って昼間の場面であっても、そこで一日が過ぎたというわけではなく同じ日がつづいているという場合、じゃあ、途中で挿入された別のパートの「夜の場面」は一体いつの夜なのか(時系列のどこに配置されるのか)分からない、ということがよくある。
複数のパートが並列的に進行しているだけでなく、それと必ずしも関係ないと思われる個別のエピソードがたくさん入ってくるので、物語の進行がすごくゆっくりしていて、そのあまりの「遅さ」によって、物語の時系列的な意味での時間の感覚を失ってしまう。各パート間の明確な同期もないので、なんとなくふわっとした同時性が成り立っているだけと言える。このような「ふわっとした同時性」によってつながれた各パートの間では、こまかい前後関係はどうでもよくなる。前後関係があやしくなると、因果関係もあやしくなる(因と果が逆転可能になる)。徴候と出来事との関係も、どちらがどちらとも言えなくなる。
ツインピークスのパートで、「二日後」みたいな話が出てくるけど、そもそも、どういう風に「一日」が区切られているのかよく分からないので、二日後がいつごろやってくるのかよく分からなくなる(「二日後」という話が出てから、何度「夜」がやってきたのか憶えていない)。この作品において、そのように、物語が各場面の同期(時系列的配置)が保証されない時空において展開されることが重要なのだと思う。しかしここにあるのは「時系列の混乱」ではない。そもそも因果関係が希薄に上に、ふわっとした同時性は成り立っているので、混乱はない。時間にかんする感覚がかわっていく。
(三時間という枠のなかに収めなければならない『インランド・エンパイア』の場合、それはどうしても常識的な時空の混乱という形をとらざるをえないが、18時間もある「ツインピークス」の場合、前後関係や時系列的な位置関係をよく分からないままにしつつ、その場、その場では、あたかも常識的な時空が成立しているかのようにすることができる。)
にもかかわらず、思いっきり「特定の時間」、「特定の場所」に向けて物語が収斂していきそうな気配もある。