●ボナールの絵を見ていて思うのは、色彩に視点はない、あるいは、色彩は視点を必要としない、ということだ。だから、色は目で見るという意味では視覚的であり、かつ空間的な位置関係や距離を測るという意味では視覚的でない。
マネの絵画が開いた地平は、三次元的な事物の再現的な描出を行いながら、それを観ている視点を消失させたという点にあると思われる。遠近法に従って作図された絵には、絵と観者との関係において、観者がたつべき特定の位置がある。その画像がカメラで撮られたとしたら、それを撮影したカメラがあるべき位置が、その絵を見る時に観者が立つべき(あるいは、立っていると想定されている)位置と言える。それがその絵の視点の位置になる。
これはたんに、遠近法的な作図上の視点(描かれた諸物を空間の秩序によって統合するもの)にすぎないが。マネの絵においては、上の遠近法的視点(統合)だけでなく、様々な意味での視点=統合が成り立たないようにずらされている。マネの絵を観るために立つべき特定の位置(視点)はありえないし、特定の視点(特定の観点、特定の注意や関心の向け方)からマネの絵の「全体」を見ることはできない。
マネの絵には複数の視点、複数の関心や注意の有り様が分散して埋め込まれており、どの視点からも全体を見渡す(統合する)ことができない。そして、このような(ひしめき合う)視点の複数化が実現され得るのは、それが描かれるのが平らな面(二次元)であることによる。あるいは、視点のひしめき合いが、画面から(遠近法的な意味での)奥行きを奪い、平面化させる。絵画の平面性への意識が視点の複数化(あるいは特権的視点の消失)を可能にし、視点の複数化が絵画空間の平面化を要請する。分裂した複数の視点が統合され得る場所は、(それを観ているこちら側にはなく)ただ、それが描かれた平面の上にのみあるのだと言える。
そして、マネによって実現されたこのような絵画のあり方が、この後の多くの近代絵画の画家たちの仕事が展開されるための土台(基底)となっている。たとえば下の絵(マネ「公園にて」1879年)のなかには、セザンヌマティスピカソやボナールの仕事やその展開が、潜在的な形ですでに仕込まれているようにみえる。


ボナールの仕事もまた、マネによって開かれた地平の上にあるように思える。たとえば初期の作品「格子柄のブラウス」(1892年)。この絵で、シャツの柄として描かれた格子模様は、(平面的であるというより)常に正面を向いている。つまり、画面そのものと同じ面(平面)にある。それに対し、画面下に描かれるテーブルは、こちらに向かって突き出ている。テーブルは、垂直に立つ平面に対して直角に突き出ているのだが、この絵ではそれが斜め上の視点から見られている。ブラウスの部分には(常に画面と一体なので)視点はなく、テーブルの部分にのみ(斜め上からという)視点が発生してる。
さらに、ブラウスの格子柄と背景の壁は平面的でありながら、顔や手、猫などの事物は、膨らみを感じさせる三次元的な描写(モデリング)がなされている。
このように、この絵を最も粗く観ただけで、(1)ブラウスの正面性(視点のなさ)とテーブルを見下ろす視点、(2)壁やブラウスの平面性と顔や猫などの事物の立体性、という、異なる二つの意味をもつ、二つの原理的な違いが組み込まれている。そして、以上のような普通は排他的であるはずの原理の統合を実現しているのは、それを観ている視点=主体である観者ではなく、それが描かれている平らな面なのだと言える。だから、絵を観ている時に観者は、三次元的な空間を見失って、平面によって実現する多視点の折り重なりとしての別の空間性を経験している。
ボナールの色彩の、煙のように浮遊しているわけでもなく、事物とぴったり一致しているわけでもなく、その位置にありながらも、その位置に捕われないというような独自の感触は、(マネによって開かれた)多視点の折り重なりとしての空間性によって、そのような土台の上で可能になっていると思われる。しかしそれだけでなく、そのような土台自体が、色彩の力によって溶け出してしまい始めているというのが、後期の展開でみられるものだとも言える。