●『獣になれない私たち』、第二話をU-NEXTで。クオリティ高いなあ。二度繰り返して観たのだけど、細部にまで配慮が行き届いていてすごい。しばらく観ていないうちに、日本のテレビドラマはこんなになっているのか。ぼくが知っているテレビドラマとは密度がかなり違う。
テレビをまったく観なくなって何年にもなるし、テレビなんてもう半分終わったメディアだとも思っているのだけど、これだけのものを作って、週に一度放送できるのだから、地上波のテレビ局に蓄積されている(あるいはそこへと集約される)力というのはまだまだすごいものがあるのだと認めざるをえない。「既存の制度」というのは、それが上手く機能さえすれば、圧倒的に強いのだということを見せつけられている感じだ。
(日本の場合は、本来強いはずの「既存の制度」が多くの場合で上手く機能しなくなっているということが問題なのだろうが。)
これだけのものをつくるには、きちんと教育された才能ある人材やコネクションが集約されるシステムと、それなりに余裕のある資金や準備期間も含めた時間が必要だと思われ、それが可能なのはどうしても既存の(大きな)制度だということになる。おそらく、今、日本で映画をつくっている人などが観ると、その贅沢さに対してめまいがするくらいうらやましく感じるのではないか。
そこにはもちろん、その強さに必然的についてまわる大きな制約というものがあるだろう。しかしこのドラマには、制約を意識的にその内に織り込みながら、きつい制約、ハードなルールのなかで、逆にそれを利用することで最大限のパフォーマンスを実現しようとするスポーツ選手のような、希有な振る舞いがあるように感じる(前も書いたけど、さまざまな批評的要素は、尖ることなく、しかし鈍ることもなく、エンターテイメント的な落としどころに見事に昇華される)。
すごいな、これ、と感心させられなからも、これだけのものをつくられてしまうと、インデペンデントな体制ではなかなか太刀打ちできないのではないかという気持ちにもなる。このような「賢いコンテンツ」、既成の制度によって集約されたこの頭の良さ(本当に「頭のよいドラマ」という感じがする)に、どのように対応したらよいのだろうか、とか思う。