2019-04-29

●お知らせ。511()から629()まで、名古屋のSee Saw gallery + hibitというギャラリーで、井上実さんの個展が行われます(日、月、火は休みです)

http://www.seesaw-gallery.com/exhibitions/2019/1335

その初日、511日の18時から、井上実さん、建築家の柄沢祐輔さん、ぼくの三人で、トークイベントを行います。

(井上さんの「空き地」という作品を、ぼくは自分の本『虚構世界はなぜ必要か?』の装画として使わせてもらっています。)

●ぼくは、20171115日の日記に、井上さんの作品について次のように書いている。

《たとえば、井上実の絵画はそうなっている。一つの平面に、異なる階層が同時に現前してしまっているような感じがある。異なる階層というのは、異なるレイヤーというのとは違う。異なるレイヤーが共存している絵画など、今では既にありふれている。そうではなく、雑なたとえ方になるけど、「ニワトリ」と「鳥」と「動物」とが、一枚の絵のなかで、同じ強さで並列的に現前しているという感じになっている。だから観ているとほんとうにくらくらする。井上作品の異様な密度はおそらくそこから来ている(たんに、描写の細密さからくるわけではない、それだったら8K映像とかには勝てない)。ぼくが知る限りでは、現役の作家で井上実以外にそれができている作品をつくっている人はいない。》

●あるいは、20161125日の東京新聞の美術評には、次のように書いた。

《全体と部分とがどこまで細かく見ても同じ構造をもっている図形をフラクタルという。近似的なフラクタル構造は、リアス式海岸の海岸線やブロッコリーの形、腸の襞の構造など、自然界の様々なところに見出される。フラクタル図形は、マクロへ、ミクロへと見るスケールを変化させても特徴が変わらないので、通常のスケール感の足下を崩され、眩暈のような感覚を生む。

フラクタル構造とは異なるが、井上実の絵画にみなぎる強い充実感は、スケールや感覚を転倒させるような多層構造が作られているところからくると思われる。モチーフは、一辺二、三〇センチ程度の範囲の小さなスケールの折り重なる植生で、それが一辺一、二メートルの大きな画面へ拡大される。点描のような小さなタッチの集積で描かれるが、スーラなどの光学的点描とは異なる。キャンバスが透けるほどの薄塗りで、タッチの大きさにばらつきがあり、タッチの集積の粗密さも均質ではない。植物の重なりは執拗なまでに詳細に再現されるが、写真のようなリアルさが目指されているのではない。

大きな画面が小さく繊細な薄塗りのタッチで埋め尽くされ、庭の片隅にあるようなささやかな植生が、拡大されて詳細に描かれる。抑制された色彩による一つ一つのタッチは、桜の花びら一枚のようにささやかだが、大画面を埋め尽くすそれは桜吹雪のように圧倒的だ。描かれるのは片隅の植物だが、拡大されたそれはまるで妖怪や精霊や動物の霊気などが密集する森の奥のようでもあり、濃密である。画面には植生が細密に描かれているが、それは同時に、繊細な色彩のリズムがつくる抽象絵画のようでもある。

小さいと同時に大きく、ささやかであると同時に圧倒的で、静かであると同時に騒がしく、細密画であると同時に抽象画である。アニミズムの森のようなみっしりとした植物の重なり合いが、実は片隅の野草の姿であること、生命が横溢する饒舌な画面が、実は繊細で抑制された薄塗りのタッチでつくられていること、騒がしく過剰なものが、実は静かでか弱いものたちによって支えられていること。

井上実の絵画には、性質が逆であるものが互いに相手を支え合う多層構造があり、それらが同時に響くことで、充実した視覚体験をもたらす。》

●ぼくは本気で、井上実は、現在の世界で最も重要な画家の一人であると思っている。しかし、そうであるにもかかわらず、その実作を観ることの出来る機会は残念ながら希少である。もし可能ならば、この機会に観ることをお勧めします。

INOUE MINORU WORKS

http://inoueminoru.wixsite.com/kaiga/works