2019-06-14

●『ニュー・ダーク・エイジ』の最初の章でジェームズ・ブライドルは、我々のすべてを呑み込んでいるかのようなテクノロジー(あるいはネットワーク)について、それを理解すること以上に、それにかんする「新たなメタファー」を生み出すことが重要だと書いている。

(そしてそれは、正しい知によって正当な批判を行うというよりも、ツールに「再度魔法をかける」というようなことである、と。)

《理解することの必要性と、つねに理解しなくても生きていけることの必要性だ。私たちはよく新しいテクノロジーを必死に理解し記述しようとするが、それは新しいテクノロジーを考えることにすら苦労しているということだ。必要なのは新しいテクノロジーではなく、新しいメタファーだ。すなわち、複雑なシステムを形作ってきた世界を記述するメタ言語である。新しい速記法(ショートハンド)が求められている。人々が、政治が、文化やテクノロジーがすっかり絡み合っている世界のリアリティを認識し、これに取り組むための速記法だ。》

《私たちはすべてのことをよく理解してはいないし、理解できないが、考えることはできる。充分な理解を主張したり要求したりすることなく考える能力は、新たなる暗黒時代を生き抜く鍵である。なぜなら、これから見ていくとおり、理解することはたいてい不可能だからだ。》

《今日、雲(クラウド)はインターネットの中心をなすメタファーだ。》

(…)このクラウドに対する最初の批判は、それがとても悪いメタファーだということだ。クラウドには重さがある。形が定まっている。そして探すべき場所を知っていれば、目にも見える。クラウドは、水蒸気と電波で作られた、すべてのことがうまくいく、どこか魔法めいた遠くの場所ではない。それは電線、光ファイバー、衛星、海底ケーブル、コンピュータがぎっしり詰まった巨大な倉庫から成る物理的なインフラストラクチャーであり、莫大な量の水とエネルギーを消費し、国家および法的所有権のもとにある。》

《もう一つの批判は、この理解のなさが意図的なものだということだ。国の安全から企業秘密から多種多様な不正行為まで、クラウドの内部に何があるのかを隠すにはもっともな理由がある。》

《これらは正当な批判であり、それを問い直すには、クラウドがその影を落とす場所を調べるのがその方法の一つである。つまりデータセンターと海底ケーブルの位置を問い、稼働中の電力の実際の配置がどうなっているのかを調べればいい。》

《だがこのいまや地についたクラウドの機能的な見方を超えて、新しいメタファーを生み出すために、クラウドの姿をもう一度反転させることができるだろうか? クラウドは、私たちの無理解ではなく、無理解の理解を吸収できるだろうか? 私たちは基本的な計算論的思考をクラウド的思考に置き換え、不可知の雲を認め、生産的な雨を降らせられるだろうか? 一四世紀、キリスト教神秘主義者の匿名の著者が、人類と神とのあいだにかかる「不可知の雲」について書いた。それは美徳、正義、正しい行動を体現したものだ。(…)クラウド的思考---不可知を受け入れること---ならば、私たちを計算論的思考から逆戻りさせられるかもしれず、それこそがネットワーク自身が私たちに促していることだ。》

《過去数世紀で最大の進歩の波は、啓蒙思想そのものの中核をなす考えであった。つまり、より多くの知が---より多くの情報が---より良い決定へと導くということだ。》

《今日、ふと気づくと私たちは、巨大な知の倉庫とつながってはいるが、考えることを学べてはいない。それどころか、その反対になっているというのが正しい。世界の蒙を啓こうと意図したことが、実際には世界を暗黒へと導いている。インターネットで入手できる、有り余るほどの情報と多数の世界観は、首尾一貫したリアリティを生み出せず、原理主義者の簡素な語り(ナラティブ)の主張と、陰謀論と、ポスト事実の政治とに引き裂かれている。この矛盾こそが、新たなる暗黒時代という着想の根源だ。》

《ここに述べるのは、テクノロジーへの糾弾ではない。それでは私たち自身の糾弾になってしまう。むしろ、世界について考えたり、知ることができるものに対して、根本的に異なる理解のしかたを伴う、テクノロジーとのより思慮深いかかわり方を訴えるものである。》

《テクノロジーはツールを作ったり使うだけでなく、メタファーの創造でもある。ツールを作ることは、その世界にある種の影響を与えられるよう具体化された、世界のある種の理解を提示する。そうしてそれが世界の理解のもう一つの可動部分になる---たとえ、その多くが無意識のうちにしても。したがってそれは、隠れたメタファーだと言えるかもしれない。ある種の移送や転移がなされるが、同時に、ある特定の考えや思考法をツールに取り込み、もはや考えることを促進する必要をなくす。再考したり新たに考えるためには、ツールにいま一度、魔法をかけなければならない。》

《格言にあるように、ハンマー()をもっていると、何でも釘に見える。しかしこれはハンマーについて考えていないからだ。適切に想像すれば、ハンマーには多くの用法がある。(…)化石を掘り出すこと、登山ロープの端の輪を固定することもできる、判決を下したり静粛を求めたり(…)。トールの槌ミヨルニンを打つと、雷鳴が鳴り稲妻が光ったし、槌形をした神の怒りに対するお守りが十字架に似ているので、強制的な回心のためのお守りもできた。のちの世代に掘り起こされた先史時代の槌と斧は「雷石」と呼ばれ、嵐の空から落ちてきたと信じられていた。そしてこれらの神秘的なツールは魔法の対象となった。もともとの目的がすたれたとき、新しい象徴的な意味をもつことができた。私たちはハンマーに---あらゆるツールに---再度魔法をかけなくてはならない。そうすることで、大工道具よりもトールや雷石らしくなる。》

《テクノロジーは固定化された雰囲気をもっている。ひとたび状況に封じ込められた思想は、固着して論破できないように見える。ハンマーを適切に用いれば、それを叩いてこじ開けることができる。いくつかのツールに再び魔法をかけることによって、現代の日常生活の無数のあり方に内在する別の実現の仕方が、ありとあらゆるかたちで見えてくるだろう。》

《本書で提示する主張は、テクノロジーの影響が気候変動のように世界中に広がっており、私たちの生活のあらゆる分野に、すでに変化をもたらしていることである。こうした影響は大惨事になりうるし、私たち自身が開発してきた激動のネットワークで結ばれた産物を、私たちが理解できていないことに帰因する。そうしたテクノロジーは、私たちが愚かにも、ものごとの自然の秩序だと思うようになったものを覆し、私たちの世界観のラディカルな再考を要求している。だが本書のもう一つの主張は、すべてが失われたわけではないということだ。実際に新しいやり方で世界を考えられるのなら、世界を再考し、理解し、その中で異なった生き方ができる。ちょうど現在の世界観が、科学的発見から進んできたように、世界観の再考もまた、テクノロジーの開発とともに出現するにちがいない。》