2019-07-29

●U-NEXTで『東京ゴッドファーザーズ』を観た。改めて、ぼくには今敏作品を受け入れることが難しいと感じた。いや、無茶苦茶すごいことが起きているというのは分かるのだけど。

物語などどうせ嘘なのだからと言ってしまえばそれまでだけど、しかし嘘の付き方が作者の都合でありすぎる、というか、その嘘の付き方は信用できないと、細かい節々で感じてしまう。

(「嘘の付き方」の代わりに「整合性のとり方」を代入しても同じことだと思う。)

その一つ一つは細部に対するちょっとしたひっかかりのようなものに過ぎないのだけど、その違和感が、観ているうちにだんだんと積み重なっていって不信感のようなものになり、画面上でいくらすごいことが起こっていても、分厚い違和感の壁に遮断されてこちらのまなざしがそこまで届いていかなくなる、というか。

(ここがひっかかるとかあそこもひっかかるとか、具体的な違和感を挙げてみるならば、その一つ一つはちょっとした趣味の問題にすぎないようなもの---言いがかりのようになってしまうかもしれないようなもの---かもしれないのだが、それらが積み重なるとじわじわ効いてきて、作品の世界からいつのまにか関心が離れてしまう。)

(「確かにすごいですね(棒読み)」みたいな感じになってしまう。)

(無意識のレベルで、リアリティの置き所がぼくとは食い違っているということだと思う。こういう作品に対しては「受け入れがたい」と言うしかなくて「批判」することは出来ない。ただ、どこがどうだから受け入れがたいのか、ということに対して、できるだけ自覚的でありたいとは思う。だから---ある程度「すごい」ということは認めざるを得ないものの---自分には受け入れがたいと思っている作品を、定期的に観直してその違和感を---反省的に---反芻してみる。)

(ただそれでも、やっぱり受け入れがたくて最後までは観られない、ということはある。)

(一本の作品として観るのではなく、バラバラに解体して、細部を個別に観ていけば、このような違和感抜きでこの作品の「すごさ」を観られるかもしれない。)