2020-02-14

●メモ。ルゴーネスの新訳の短編集(大西亮・訳『アラバスターの壺/女王の瞳』)から、「円の発見」の一部を引用。

(ガルシア=マルケスなどとは根本的に異なった、ルゴーネス、ボルヘス、ビオイ=カサーレスといった、南米文学の童貞的---独身的と言うべきか---傾向の系譜というのがあるように思っていて、ぼくはその傾向にひかれる。)

《クリニオ・マラバルは狂気にとりつかれていた。座ろうが立とうが、あるいは横になろうが、チョークで描いた円のなかに身を置いてからでないとどんな姿勢も保てないという狂気にとりつかれていたのである。いつもチョークを持ち歩いていたが、精神病院の仲間たちにチョークを盗まれると木炭を手にし、石が敷きつめられていない場所では木の棒を代わりに手にした。》

《クリニオ・マラバルが狂気にとりつかれたのは、線の性質について考えをめぐらせているときだった。彼は、いとも簡単に、つぎのように結論した。すなわち、線は無限である。なぜなら、線の展開を内に含みうるものはどこにも存在しないからであり、したがってそれは、果てしなく伸びていくことが可能だからだ……。

あるいはこうも言えるだろう。線は要するに数学的な点の連続でありつねそれらの点はいずれも抽象的なものであるから、線を限界づけるものはどこにも存在しないし、線の展開を押しとどめるものも存在しない。あるひとつの点が空間を移動することによって線を生み出す瞬間から、それが静止すべき理由はどこにもないのだ。というのは、点の移動をはばむことのできるものなどどこを探しても見つからないからである。したがって線というものは、それ自身を除くいかなる限界にも縛られることがない、ということになる。こうして円が発見されるにいたったのだ。

この真理を手にするや、クリニオ・マラバルは、円が存在の根拠にほかならないことを理解すると同時に、もうひとつの真理、すなわち、存在というものは円の概念を失った瞬間に死を迎える、という真理にたどりついた。》

《(…)〈統一性〉に支えられた存在物は、終末がもたらす相関的な作用によって死を迎えるが、これら存在物たちは、円の完全性を把握することができないときに終末を受け入れる。なぜなら、完全な円には終わりというものがないからであり、したがって死は存在理由を失うからだ。》

《このような方法によって彼は、不死を手に入れようとした。医師の語るところによると、彼はあまりにも強固な暗示にとりつかれていたために、二十年にわたる精神病院での生活を通じて、いかなる老いの兆候も見せることがなかった。》

《ところがあるとき、病院に新任の医師がやってきた。彼はクリニオ・マラバルの奇癖に眉をひそめた。》

《ある夜、新任の医師は、自分の思いどおりに行動しようと心に決めた。病院でも物好きな男として知られていた彼は、やはり執念深い性格の持ち主だったのだ。医師は、クリニオが眠っているあいだに、チョークで描かれた線をきれに消してしまった。医師の悪ふざけに気づいた狂人たちのなかには、予備の円を探し出してはせっせと消していく役目を買ってでる者もあった。

その後、クリニオ・マラバルは二度と起きあがらなかった。円が消されると同時に事切れてしまったのである。

この出来事はそれなりの騒動を引き起こしたが、医師という敬うべき職業に対する気遣いのためなか、しかるべき法的措置が講じられることはなかった。ところが、大変なショックを受けた狂人たちは、それ以後、クリニオ・マラバルの声をいたるところで耳にするようになった。

夜になるとベッドの下で二分以上もしゃべりつづける声が聞こえてきたし、菜園のあちこちからも声が聞こえるようになった。狂人たちは何かを知っているにもかかわらず、それを口に出したくはないようだった。》

《すると突然、二十歩ほど離れたところに置いてある、名前はわからないがある種の珍しい植物の上に伏せられた缶の下で、誰かがしゃべっている声が鳴り響いた。それはまぎれもなくクリニオ・マラバルの声だった!

われわれが驚きから立ち直るよりも早く、狂人たちはうなり声を上げながら、はねられた首とおぼしきものが隠されているにちがいない場所にむかって牛のように突進した。われわれはみな動揺の色を隠せなかった。目の覚めるような明るい日射しの下、平坦な中庭に伏せられた缶のなかで、われわれの聞きなれた言葉を繰り返すあのクリニオ・マラバルの声が鳴り響いていたのだ。完璧きわまりない解剖のあと、一週間前に埋葬されたはずのあのクリニオ・マラバルの声が。

狂人たちは獰猛な目をこちらに向けていた。われわれはみな恐怖に身を震わせた。もしあのとき、発作的な衝動にかられた医師が缶を蹴飛ばすことがなかったら、われわれはいったいどうなっていただろう。

声が突然止んだ。逆さまに伏せられた缶の跡を示す四角形の線、かびに縁取られた四角形の線のなかに、クリニオ・マラバルがチョークで描いた円が残されていた。》