2020-03-03

●『映像研には手を出すな!』、9話。芝浜は水の町なんだな。今回は、プロデューサー金森氏が辣腕を振るう回でもあると同時に、金森氏と浅草氏との間に化学反応が起こるという回でもあった。

この物語では、現実的にはちょっと考えられないくらいの、クリエーターとプロデューサーとの理想的な関係が描かれている。金森氏は現実主義的ではあるが、クリエーターが最も大事にしている部分に踏み込んでまで口出しすることはない。しかるべきクオリティの作品が納期までに完成するならその中味はクリエーターに任せる(間に合わなそうな場合は介入するとしても)。しかし、その行動を通して、クリエーターに対して(おそらく無意識のうちに)重要なサジェスチョンを行ってもいる。つまり、作品の内容にも影響を与えている。

今回、金森氏は、学校から遠いラーメン屋まで、映像研のメンバーを食事に誘う。その行為は、ラーメン屋店主が商工会の会長であり、アニメ好きでもあることから、次回作の資金源とつながる可能性があるということから、なんらかの関係をつくっておこうということだろう。しかしここで、ラーメン店までの長い道のりを歩き、芝浜の町の特徴的な地理や風景、その成り立ちに触れることで、監督である浅草氏は強い刺激を受ける。浅草氏には元々、芝浜の町を舞台にしたいという構想はあったようだが(既にスケッチブックにスケッチがある)、そうだとしても、この時のラーメン屋への道行きが彼女のモチベーションやインスピレーションに火をつけたことは確かだろう(だからこそ彼女は、ラーメン屋からの「帰り道」で、次回作の舞台を芝浜の町にすると「決めた」のだと思われる、もともと複数あるアイデアの一つだったのかもしれないものが、ラーメン屋への道行き---具体的に風景に触れること---によって「これだ」と確信されたのだろう)。つまり、金森氏は「口を出す」というようなことではなく、このような行為(町に連れ出す・一緒に町を歩く)を通じて、作品の内容にまで深くコミットしていると言える。

また、この回ではもう一つ、金森氏のふとした一言から、浅草氏が重大な気づきを得る場面がある。金森氏の何気なくもらした「演出ですか」という一言が、浅草氏の創作に(少なくとも「意識的」には)新たなフェーズを開くことになる。自分の頭のなかにある世界やメカニックの「構造と挙動」とを的確に示すために要請されるものとして「演出」を意識する。

ここで示されるは、プロデューサーとクリエーターの間で生まれる相互作用であるのだが、その相互作用とは、必ずしも双方の「対話」や「折衝」から生まれるわけではない。金森氏が浅草氏や水崎氏を連れ出したり、ふと漏らしたある言葉が、たまたま、浅草氏のある部分にぴったりと刺さったりする。共同作業によってしか生まれない何かは、(対話や折衝よりも)そのような、事前にはコミュニケーションを意図していなかったかもしれない行為や言葉が結果として作用する、という形で生まれる部分が多いのではないか。

(金森氏の過去のエピソード---潰れてしまう親戚の雑貨屋---の部分は、ちょっと説明的だったかなあ、と感じた。)