2020-07-31

●『日本蒙昧前史』(磯﨑憲一郎)を読んだ。磯﨑さんは、日本の他の作家とは全く別の方向を見ていて、別の場所を歩いている感じだ。

年号と固有名のない昭和史。しかし、まったく固有名がないというわけではなく、時々ぽろっと固有名が出てきて、はっと驚かされる(背の高いホステス、五つ子、歌手、野球選手、元日本兵の従姉)。(追記、社長の娘の名も書かれていた。)

(とはいえ、「和子」や「絹」を固有名と考えてよいのだろうか。)

(今、ちょっと調べて分かったのだが、この小説に出てくる五つ子の名は、歴史上に実在する五つ子の名とは異なっている。これはけっこう重要なことかもしれない。そして、小説では五つ子の父と母は高校の同級生だが、歴史上に実在する五つ子の父と母は五つ歳が離れている。)

(たんに、現在でも生きているはずの人物に対するプライバシーへの配慮なのかもしれないが。)

(だとすれば、この小説に出てくる「歴史に紐付いた固有名」は、歌手と野球選手だけ、ということなのか。あと、「目玉男」を固有名と考えるべきなのかが難しいところだ。本名ではないとしても、歴史に刻まれた通り名であるとは言える。)

(人名がほとんど書かれないのに対して、地名は明確に書かれている。)

昔、固有名は確定記述の束には還元されない、という議論があった(柄谷行人『探求2』、ソール・クリプキ『名指しと必然性』)。それが正しいとすれば、歴史を固有名抜きに書くことができるのか。あるいは、歴史から固有名が差し引かれた時、「歴史」はどのようなものに変化するのか。

(書評を書く予定なので、ここではこのくらいにする。)