2020-08-21

●『MIU404』、第九話。なんというか、すごく野木亜紀子的な展開だと思った。前回が裏だとしたら今回は表、あるいは前回が表ならば今回は裏。この二つの話はセットになっていることで効いてくる。前回の小日向文世の位置に、今回は綾野剛が置かれる。小日向文世は間に合わなかったが、綾野剛は間に合った。もし、黒川智花が助からなかった(間に合わなかった)としたら、綾野剛鈴鹿央士を許すことが出来たのか分からない。つまりこの場合、綾野剛もまた小日向文世同様に「負けて」しまったかもしれない(綾野剛もまた「殺した」かもしれない、という気配は出ていた)。そうならなくて済んだのは「間に合った」からであり、(勿論、大勢の人たちの必死の努力---スイッチの切り替え---があったからだが)それはやはり偶然の幸運というしかない。綾野剛は偶然の幸運によって踏み留まったが、場合によってはそうではなかったかもしれない(それは逆に言えば、小日向文世もまた、場合によっては「間に合った」かもしれないということだろう)。生きている人は常にあやうくて不安定であり、どちらに転ぶかギリギリまで分からない。その意味で、揺らがないキャラであった綾野剛の、真の揺らぎ---確率的な揺らぎ---がここ(今回と前回のワンセット)では示されていると思う。

●あともう一つ、今回で問題になっているのは「手続きの正当性」だろう。警察の側が、もし手続きの正当性に対して柔軟---というより、いい加減---であったとしたら、黒川智花の危機をもっと早い段階で防ぐことができた(星野源綾野剛渡邊圭祐のビデオカメラを強引にチェックしていたら、麻生久美子黒川智花スマホを盗み見していたら…)。しかし彼らは、(国家権力を背景にもつので)あくまで「手続きの正当性」にこだわらなければならない。ここで重要なのは、躊躇なくチートをする相手方に対して、あくまでも手続きの正当性にこだわったやり方で勝負しなければならないということだ。手続きの正当性という拘束の内で、どうやったらチートする競合相手と同等に争うことができるのか。というか、あくまで「手続きの正当性」にこだわるという姿勢を(危機的な状況であったとしてもなお)どのように維持できるのか。これはとても重要なテーマだと思う。