2020-09-27

●アマゾンで『ソドムの市』(高橋洋)を久々に観た。面白かった。いろいろな人が出ていて、そういう意味ではかなり豪華。

血、呪い、盲目、花嫁、姉妹、拷問、カルト集団、降霊術、マッドサイエンティスト、戦争、世界の滅亡、そして、果てのない殺し合い。これらのことが、手作り感満載の、チープで薄っぺらで、まるでコントのようなのつくりであらわされるというところにリアリティがある。

というか、オブセッションを、薄っぺらな建て付けで上演することによる「距離の設営=制作」により、かろうじて操作可能なものとして、狂気へ陥る手前で留めている、その、「ギリギリの遊戯」を成り立たせる距離の感覚がリアルなのだ、と思う。

遊戯が成り立たなくなると狂気(あるいは恐怖)に落ちるので、この遊戯(遊戯の技法)は、必須で切実なものだ。

死んでも何度も復活して、「地獄が闘えというとるんや」と言って延々と殺し合いをする。斬っても斬っても死なず、互いに何度でも斬り合う。血しぶきが際限なく舞う。それを上から見ている花嫁が「これで終りね」と言い、傍らの岩淵達治が「終わりが永遠に続く」と言う。「地獄は実在する」というのは、こういうことなのだろう。