2021-03-11

●保坂さんの小説を読んで、長いこと思い出すこともなかった受験生最後の頃を思い出して、昨日と一昨日の日記に書いた。もう少し。

1989年の3月には、一次試験で三回、一次の発表で一回、二次試験で二回、合格発表で一回と、一ヶ月のうちに計七回も芸大に行った。そして、その七回のうちにいつの間にか春になっていた。ひと月のうちに七回、特別な緊張と高揚のなかで、絵を描く道具の入った大きなボックスをカートにくくりつけてゴロゴロ転がしながら(発表の時はカートはなしだが)、上野駅から上野公園を突っ切って芸大まで歩いた。そして、その同じ道を逆にたどって帰った。この時の感じは、この後かなり長くかなり年齢がいっても身体のなかに生々しく残っていたし、上野公園を通るたびにその名残が身体の中で燃えるようだった(大学に受からなかったという悪い感じではなく、とても希有なよい高揚感として)。この感覚はその後の自分を支えるようなものでもあったと思う。

しかし今となっては、その時はそうだったはずだ、と、外側から思い出すくらいの感じで、その感覚を自分のなかであまり生々しくは再現することはできなくなっているかもしれない。それよりもむしろ今の自分にとって強く残っているのは、《いつの間にか春になっていた》という感覚と、(昨日の日記に書いた)《上野駅を出た京浜東北線の電車がいつまでたっても横浜駅に着かなかった》という感じの方ではないかと気づいた。これはどちらも、緊張や高揚というより、とりとめもなく弛緩していく感覚であり、同時に、足場が取り払われ寄る辺(モノサシ)が失われたような感覚だろう。

(《いつの間にか春になっていた》という感じとはおそらく、自分の生において特別な緊張と高揚が、秋の深まりと同調するようにして強度を高めていって、冬を経過してさらに高まり、それがピークとなろうとする時に、その過程とは無関係に世界は春になっていて、それに気づき落差を感じた時と、緊張と高揚のモードがふわっと解かれる時とが、同時にやってきたという感じだったと思う。)

四月になって母校となった大学のバス停でバスを降りてアトリエへ向かう坂道を上っていく時の、足下のおぼつかないあのふわふわした感じは今でも生々しく残っているし、世界はまったく変わってしまったが、30年以上前のあのふわふわによって自分が支えられていると感じる。