2021-05-19

●連続ドラマを、一気観するのではなく、一話ごとに観ることの意味は、中途半端なところで切られて、一週間の間宙ぶらりんの状態に置かれるということだ。つまり、一週間という咀嚼する時間が与えられる。これは貴重なことだ。

連続ドラマの各話の感想を、先の展開が見えないままその都度書くという理由は、続きを観てしまったら「先の展開を知らない」という状態にはもどれないから。知らなかった時の状態を思い出すことは難しい。先の展開を観てしまったら、展開を知らない時点での感想を書くことは二度とできなくなる。

『大豆田とわ子と三人の元夫』というドラマは、そのようなことの意味を改めて考えさせられるというか、味わわせられる。視聴者を戸惑わせる展開をみせ、それにかんする説明も、衝撃を受け止める時間すら与えず、ポンと一年後へ飛ぶ。飛んだかと思うと、「一年飛ばしますよ」という情報だけ与えられて、今週終わりでスパッと切られ、つづきは一週間待ってね、となる。

(そういえば前々回で市川実日子は、最後の晩餐にはコロッケがいいと言い、松田龍平と二人でコロッケを食べていたなあ、と。)

(前回、市川実日子の食事シーンがあったかどうか、今、すぐに思い出せないのだが、もしかすると、松田龍平とコロッケを食べているシーンが---画面上では---本当に市川実日子の最後の晩餐だったかの。いや、晩餐じゃないが。)

●『大豆田とわ子と三人の元夫』、第六話。すべてを潰す回。三人の元夫の未来だったかもしれない三人の女性との関係の可能性を潰し、松田龍平の気持ちの行き先だった市川実日子との関係の可能性も潰す。一話から五話までで積み上げられてきた、恋愛にかんするあらゆる可能性を潰して(本当にアンチ恋愛ドラマだと思った)、最初にあった「大豆田とわ子と三人の元夫」という関係だけが残る(伏線というより、まるで総集編であるかのように、過去の回のセリフが再現される)。振り出しに戻る。ただし振り出しと違って、松たか子は親友を失っている(詳しくは描かれないが、社長としての信頼も失っているかもしれない)。

松たか子のマンションに、本来その場を占めているはずの、松たか子、豊嶋花、市川実日子以外の(そして会社関係者以外の)、主要な登場人物のすべてが集う(岩松了とその妻まで)。そして、会社関係者は全員、会社に集っている。松たか子が占めるべき(松たか子が中心となるべき)二つの場に、彼女が不在。

物語上の主要な二つの問題(恋愛と会社の経営)にとって重要な出来事が、松たか子のマンションと会社で展開されているなか、彼女はそのどちらの問題の展開からも外れている。ドラマの中心となるべき人物が、ドラマ上で主要な二つの問題のどちらにも参加していない。その「不在」が、表の主要な問題をサボタージュしてまでも向き合うべき、より重要な、背後にある「別の問題」(友人の死)の存在と大きさを表現する。

マンションでは、恋愛巧者たちの恋愛ゲーム(攻防戦)、ザ恋愛ドラマ的展開が行われており、会社では、会社を守るための社員たちの必死の共働が行われている。これはどちらも、市川実日子がそこから脱落してしまった、彼女にとって理解出来ないルールで行われるゲームの世界だ。本来、どちらの場でも中心を占めているはずの松たか子は、その二つの場の両方から離脱する(失踪する)ことで、最後に友人と共にあった。

(身近な人の「死」の問題という水脈は、表にある恋愛と労働という問題とは別に、潜在して、まさに伏線---伏せられた線---として存在していた。この物語は「母の死」からはじまっていた。母の死が、元夫たちとの関係を再度つなぎ直した。)

(市川実日子は本当にふっといなくなる感じで、最後の市川の姿が思い浮かばない。このまま、いっさい市川を出さないで終わるのかと思ったら、さすがにそこまで非道な展開ではなく、最後の方にちらっと回想シーンが入った。

松たか子は泣かない。ただ、マンガを読んでいる時に、絶妙に「泣きそうな顔」になる。)

●女たちの能動性と男たちの受動性。女性たちは一方的にいいよってきて、一方的に離れて行く(石橋以外)。男たちは当初アプローチに戸惑い、受け入れ体制が出来たところで去って行かれる(松田以外)。

一方に、過剰に見られる女(芸能人)、瀧内公美がいて、他方に、存在を気づかれない女(ホテルの従業員)、石橋菜津美がいる。過剰に見られる者と過剰に見られない者がいて、男たちはそのどちらでもなく、まさに「一般人」である。過剰に見られる/ 見られない存在が、そのどちらでもない存在に近づこうとする時、そのギャップを埋めるために「嘘」が媒介となる。過剰に見られる女は、台本通りのセリフで誘い、台本通りのセリフで別れる。過剰に見られない女は、嘘(不当解雇・パワハラ)によって存在を主張し、嘘(温泉旅館の娘だから裕福・心配しなくてよい)を理由として去って行く。

(我々は、石橋菜津美に気づかない岡田将生を責めることはできない。視聴者もまた、ドラマのちょっとした細部に気づかずに通り過ぎ、後になってからやっと「そういえばあの時…」と気づく---あるいは気づかないまま---のだから。)

松田龍平石橋静河との間にある「嘘」は三角関係に起因するものなので、他のペアとは異なる。ここで嘘は、岡田義徳に対する嘘であって、この場合「嘘」が二人を共犯者とする。既に、松田が岡田に告白することで「嘘=共犯性」は消えている。「嘘」の媒介的作用が無効化されてもなお、石橋は松田を求める。だからこのペアだけ質的に他のペアと異なる。

(自らを積極的にプレゼンしていく石橋静河の清々しさ。)

(角田晃広岡田将生が、餃子の具を溢れさせるのに対して、松田龍平の餃子には具が入っていない。このようなキャラ対比が鮮やかだ。)