2021-06-24

●『あの頃。』を観ていて、柄にもなく自分の「青春」というものを考えていた。自分の生涯でもっとも「青春」っぽかった時期はいつだろうと振り返ると、おそらく九十年代後半だと思われる。九十年代後半は、年齢としては二十代の終わりから三十代のはじめで、ふつうに考えれば、自分はもう若くはないと自覚するような年齢だ。

青春っぽさとは何か。たとえば、ふらっと思いつきで誰かの展覧会を観に行って、流れで打ち上げに参加し、終電を逃して、打ち上げではじめて会った人の部屋に一晩泊めてもらう、というようなことを気軽に抵抗なく行うことができるような雰囲気のなかで生きていた時期、というイメージがぼくにはある。で、その泊めてくれた人と特に仲良くなるわけでもなく、その後に会うことも連絡することもなく、それっきり。時間も出会いも無限にあるような感じで無駄遣いして躊躇もなかった時期が九十年代後半だった。基本的にコミュ障で引きこもり気味なのだが、そういう自分としては(あくまで自分比で、だが)例外的に気軽に出歩いていた。

ふつう、こういうことは大学生くらいで経験すると思うのだが、学生の時は大学のあり方やほかの学生に対して強い不満や苛立ちをもっていて、要するにいきっていたので、孤立を気取っていた感がある。大学という枠がなくなって、完全に一人になったことで、気軽にふらふらできるようになったのだと思う。それに、大学時代の知り合いとは、大学を出た後になってから(互いに制作と発表をつづけているという共通点によって)親しくなった感じなので、学生の時より卒業後の方が関係が密になった。互いに厳しい状況でやっているので、自然に助け合うようになる(いきってはいられない)。

それ以外にも、九十年代後半の日本は、文化的に割と華やかな感じだったということもあると思う。円高で輸入CDがとても安かったということもあり、この時期には自分史上で最も音楽を多く聴いた(逆に、九十年代前半は最も音楽を聴かなかった。CDの再生装置を持っていなかった)。このことも、華やかなイメージと結びついているのかもしれない。これもまた柄にもないことだが、観光気分でクラブとかを覗いたりもした。あくまで「覗いてみた」だけだが。

あともう一つ、深夜の長電話がある。この時期、だいたい月に一度くらいの頻度で、深夜までの長電話につきあってくれた(実際に会うことは希な)友人が二人いて、そのだらだら感もまた青春という感じに結びついている。今の自分を考えると、自分が長電話などできる人間とはとても思えないのだが、若い時は今とは少し違っていたのだと思われる。

(さらにいえば黒沢清か。この時期、困難な状況でVシネマを作り続け、一作ごとに驚くべき充実をみせる黒沢清に熱く思い入れをしていた。マイナーなシーンで淡々と凄い仕事を積み重ねる様に圧倒された。99年にインターネットをはじめた動機は、ネットにある黒沢清のインタビューが読みたかったからだ。保坂和志樫村晴香を発見したのも95年前後だ。)