2021-06-26

●『時間は存在しない』(カルロ・ロベェッリ)を読んでいる。この本の第一部に書かれていることは、現在の物理学が描き出す世界像が我々のもつ常識といかに食い違っているかということで、すでに多くの物理学の啓蒙書に書かれていることとほぼ変わらない。内容としては変わらないが、その表現の仕方がかなり独自で、人文的な教養と語彙を使って、平易な言葉遣いで書かれている。欧米の教養ある人は分厚く長大な本を書きたがりがちで、一般向けの科学の啓蒙書であってもやたらと分厚いことが多いが、この本はシンプルで、必要最小限のことが分かりやすくさらっと書いてある(人文的教養をひけらかしがちなところはあるとしても)。

例の挙げ方も独自で面白い。たとえば、相対性理論によって「同時(今)」という概念が成り立たなくなってしまう(少なくとも相対化される)ということを、次のように説明している。

《(…)みなさんの姉がプロキシマ・ケンタウリbにいるとなると、光が届くのに四年かかる。したがって、望遠鏡でお姉さんを見ようが、無線で連絡がこようが、わかるのは四年前にしていることであって、「今」お姉さんがしていることではない。》

《それなら、こちらが望遠鏡でお姉さんの姿を確認した四年後にお姉さんがすることが、「今姉さんがしていること」になるのでは? いや、そうは問屋が卸さない。望遠鏡で姿が確認されてから、お姉さんにとって四年経ったときには、本人はすでに地球に戻っていて、地球時間でいうと一〇年後の未来になっているかもしれない(まさに! ほんとうにこういうことがあり得るのだ! )》

《あるいは、お姉さんが一〇年前にプロキシマ・ケンタウリに向けて飛び立つ際に、暦を持参して時間の経過を記録していたとすると、お姉さんの記録が一〇年になったときが「今」になるのでは? いや、これもうまくいかない。お姉さんが出発してからお姉さんの時間で一〇年経ったときにはすでに地球に戻っていて、その間にここでは二〇年経っているかもしれない。》

まるで『トップをねらえ』のストーリーを語っているかのようだと思ったのだった。実際、この「感じ」を分かりやすく説明するのが『トップをねらえ』ではないかと常々思っている。というか、『トップをねらえ』という作品は、まさの上に引用したような「感じ(「同時性」などというものはない)」こそを表現している作品だと思う(だだ、意識的に「科学的に間違って---矛盾して---いること」も混ぜ込まれていて、そこがまた味わい深いのだが)。

「トップ…」は、主人公のノリコが一年に満たない時間を経験しているうちに、地球では12000年もの時間が経ってしまっているという話だ。とはいえ、単純な「ウラシマ効果」の話ではない。登場人物のすべてが「異なる時間の系」を生きているので、基準点がなく、どこにも「同時」や「現在」が成り立たないという話だ。現在などどこにもなく、ただ、出会う度に「ズレ」が確認されるのみだ(出会わなければ「ズレ」さえもない)。

物語の前提として、地球は膨大な数の宇宙怪獣から常態的に攻撃され続けていて、地球人は常に宇宙で怪獣と闘うことを強いられているという設定がある。地球にいる者は慣性系の時間にあるが、宇宙で闘うものはそれぞれ異なる加速度系の時間のなかにある。「トップ…」では主に、ノリコ、カズミ、キミコという、三つの異なる時間の系の出会いとすれ違いが描かれるのだが、それは次のようにズレる。

・第一話 学園生活。ノリコとキミコは同級生で親友。カズミは憧れの先輩。

 ノリコ17歳 カズミ18歳 キミコ17歳

第二話から第四話。ノリコとカズミは宇宙で闘う(数ヶ月) キミコは地球に留まる(十年)

・第五話 ノリコとカズミが地球に戻ると、地球では十年の時間が過ぎている。ノリコはキミコと偶然に出会う。キミコには娘がいる。

 ノリコ17歳 カズミ18歳 キミコ27歳

(ノリコにとってキミコとの再会は数ヶ月ぶりだが、キミコにとってノリコとの再会は10年ぶり。)

カズミは地球でオオタ(指導教官)と暮らす、ノリコはまた宇宙へ。

・第六話 地球ではまた十数年時間が経っている。その間にオオタは亡くなり、カズミはまた宇宙へ出て、ノリコと再会する。

 ノリコ17歳 カズミ30代半ば キミコ40代半ば(キミコの子供がノリコの年齢を追い越す)

六話冒頭の時点で、ノリコを現在とすれば数ヶ月、カズミを現在とすれば十数年、キミコを現在とすれば二十数年の時間が経っていることになる。だが、このズレは絶対的なものではなく、あくまで三者が出会うことによって生じたズレであり、出会わなければズレの測定がそもそも出来ない(ノリコとキミコはカズミを通じて間接的に会うだけだが)。

この感じを最も端的に示しているのが、第二話で描かれるエピソードだろう。ノリコとカズミは学校代表として宇宙ステーションに滞在して訓練を受けている。外宇宙から太陽系に向けて亜光速で近づいてくる未確認物体が発見され、調査を命じられる。調査は計画では10分で終わる。計画通りにステーションに戻るとステーション時間では二ヶ月経っているはず(その日はノリコの誕生日の前日だ)。しかし、調査が数分遅延してステーションに戻ると六ヶ月経っていた。ノリコの時間の系では、誕生日が調査中の十数分のなかに曖昧に消えてしまったのだ。さらに、未確認物体はノリコの父が乗っていた宇宙戦艦が大破したものだった(ノリコの父も宇宙怪獣と闘っていた)。ノリコにとって父の死は7年前の出来事だが、調査した戦艦の時計は大破の二日後を指していた。死んだあとでもなお、ノリコの父が誕生日に会いに来てくれたという「いい話」なのだが、肝心な誕生日が行方不明になってしまう。それどころか、誰のどこが「現在」なのかまったく分からなくなっている。